第2集燕山夜話-13「平 龍 認」

燕山夜話

平 龍 認

 わが国の古書は種類の多いこともさることながら、その数ときたら膨大で数えようがない。歴代に刊行された典籍の量は、多すぎて気が遠くなりそうである。この上に伝来の原写本や伝抄本が加わると、まさにお手上げである。われわれ中国人さえ見たことがない孤本が、どさくさに紛れて、早い時代に海外へ流失し、なかには科学関係の希少本も含まれており、かえすがえす残念に思う。
 『平龍認』はまさにそのような書物である。この書物を発見したのは、ユリス・カラプラトという一ドイツ科学者である。十九世紀初期の著名な東方学者で、中国の漢、蒙、チベット語等に造詣がふかく、中国言語と歴史関係の著作が多い。その学者が1802年に64頁からなる漢文の写本を発見した。『平龍認』という書名で、著者は馬和であるが、毛華の音訳かもしれない。著作年代は至徳元年である。
 至徳という年号は史上二回使われており、一つは南北朝時代の陳后主で、紀元583~586の四年間が至徳で、もう一つは、唐の粛宗で、紀元756~757の二年間、これも至徳である。まだ現物を見ていないので、『平龍認』が何時代の書か、断定できない。ただ書名は、ユリス・カラプラオトが発表した漢字の文字形からして、確かだ。作者名は、ドイツ語のみで表記し、漢字を示していないで、判断しようがない。

 ユリス・カラプラトが『八世紀における中国人の化学知識』という論文で、この概略を紹介したことがある。それは、1807年にロシアのペテルブルグで開かれた科学院学術討論会において、『霞升気』という題目で『平龍認』の一節が発表されている。要旨は、空気中に陰陽二気あり、火硝、青石等の物質を加熱すると陰気が発生する。水にも陰気があり、陰気が陽気と緊密に混合結合して、分離しない。ここでいう陰気とは、本来我々が云うところの酸素である。大気、水中における酸素の存在は、欧州人は18世紀以後にそれを知るのであるが、中国人は欧州人より千年早く、酸素を知り、しかもそれが分解できることも知っていた。この発表を聞いて、在席外国科学者の間に狐につままれたような奇異感が漂ったらしい。
 『普通科学教程』は、ソ連の学者、ニコラソフが編集した書物で、このことを次のように述べている。“八世紀に、中国学者馬和は著作中で、空気組成の複雑性を明白に指摘、酸素(‘陽’)の調合方法を案出し、酸素燃焼の仮設へと発展させた。この仮説は近代のそれと比べて大きくかわらない。”
 酸素を最も早く発見したのは、 古代の中国人学者であったことが、これより明らかだ。その時代は八世紀以前、ひょっとすると六世紀まで遡るかもしれない。中国では、南北朝時代にすでに練丹術の流行があり、当時の人が硝石を加熱させる術を知っていたことを裏付けるものである。

 残念ながら、まだ『平龍認』の実物を見ていないのでとやかく言えないが、一体どんな本か。まず中国古代儒家系列の正統書籍でないことは確かだ。正統書籍であれば、人が捨て置くはずがなく、印刷か流伝していただろう。次に断定できることは、必ずしも煉丹を説く書とは限らない。歴代、正真正銘の煉丹名手は稀で、著作も少ない。あっても書名はこうはならない。もっともくさいのが、“地相家”の書物だ。地相家はいつの時代にも掃くほどいたし、彼らの記録や写本は多いが、白い眼で見られていたので、ほとんどが印刷されていない。だから散逸もあっただろうし、外国への流出も大いに考えられる。
 昔の中国農村では、風水を見る“地理先生”はどこにでもいた。地相家というのはその類の人を指すのである。歴代の風水家が認める、始祖は、秦時代の樗里子だそうだ。晋時代に相伝され、郭璞が『葬書錦嚢経』を著し、陶侃が『捉脉賦』を作った。いわゆる捉脈とは“龍脈”[大地を走る気脈]を捉えることである。後に広く流布した書が『水龍経』系統のものである。各地に散らばっている普通の風水先生はみな龍脈を見ることができる。それぞれが風水の良し悪しを測定するノウハウを持っている。すごいのは明代の劉伯温が書いた百数十首の『堪奥漫興』であり、その中で、北龍、中龍、南龍、干龍、枝龍、生龍、死龍、強龍、弱龍、順龍、逆龍、進龍、退龍、直龍、横龍等数々の龍脈を挙げている。風水先生たちの間で流伝する口調そろえ歌にこのような句がある。“山龍 尋ね易く、平龍 認めがたし”。これらはみな、『平龍認』が地相関係の書物であることを証明するものである。古代の著名な風水先生がしるしたもので、認められず、百年ほど前に外国へ流れ落ちたものであろう。一人の学者に発見されて幸いであった。これと同類の書籍で埋没したものはどれだけ有るかわからない。
 ふり返ると、歴史的背景を勘案することが答案を得る鍵となったが、これは将来の教訓として生かすべきだ。すなわち古代のいかなる著作であろうともまず内容を見て、研究し、安易に科学的意義を抹殺してはならないということである。

【 掲載当時の時代考証と秘められたメッセージ 】

「平 龍 認」 ひとそえ

 本編の中盤、ソ連の学者の『普通科学教程』を引用した文章について「ひとそえ」させて頂きます。1979年の北京出版社版では、
 制备氧气(‘阴’)的方法,并发展了燃烧的假设,这假设实质上和近代的非常相似。”とあります。この氧气(‘阴’)の部分を読んで躓きました。酸素は(阴)というのは化学の基本のことなのでしょう。また中国語の「仮設」は「仮説」の意味であって、「仮設」住宅などに用いる建物の「仮設」ではないので要注意でした。
 今回は中国古代の科学の発展、ここでは化学の水準の高さを感じさせるテーマでした。また、海外へ流出した卑史とも言えそうな資料に注目する鄧拓氏の目配りの広さにも驚かされました。博覧強記の鄧拓氏が理系分野にも対応できることをさりげなく披歴しているのが面白いです。
 ただ専門外の事柄については、飽くまでも軽い提醒に留め、後継の研究者たちに下駄或いは梯子を預ける、いわゆるヒット&アウェイ方式を貫いています。このあたりの老獪さは、多くの読者からは好感を持たれたものの、一部の頑固な権力者や短兵急な若者からは疎まれただろうと邪推しました。

文・井上邦久

平 龙 认 原文

 我国古书的种类和数量之多,简直无法计算。不但历代印行的古典籍浩如烟海,而且传世的各种原写本和传抄本也难以数计。其中有些孤本甚至于早已流到外国去,而我们中国人自己却一直没有见过,这里边包括了一部分非常有价值的科学著作在内,不能不令人惋惜。
 《平龙认》就是这样的一本书。发见这部书的人是一个德国的学者,叫做朱利斯・克拉普罗特。他是十九世纪初期著名的学者,对于中国的汉、蒙、藏几种文字都有研究,并且写了许多有关中国语言和历史的著作。他在一八〇二年看见了一本六十四页的汉文抄本,书名是《平龙认》,作者是马和,或者译为毛华,著作的年代是至德元年。
 中国历史上有两个朝代都用过至德这个年号:一个是南北朝代的陈后主,他用至德这个年号是在公元五八三到五八六这四年间;另一个是唐肃宗,他用至德这个年号是在公元七五六到七五七这年间。究竟这本《平龙认》是什么时候的著作呢?由于我们未见过原物,这个问题现在还不能断定。这部书名,按照朱利斯・克拉普罗特发表的中文字体,的确没有错;至于作者的名字,他却没有写出中文的原文,只有德文拼音,所以很难查对了。
 但是,这部书的内容,朱利斯・克拉普罗特在一篇题为《第八世纪中国人的化学知识》的论文中,却曾做了扼要的介绍。他在一八〇七年到了俄国的彼得堡,参加科学院的学术讨论会,宣读了这篇论文。他介绍《平龙认》这本书里面有一节,标题是《霞升气》,大意说:空气中有阴阳二气,用火硝、青石等物质加热后就能产生阴气;水中也有阴气,它和阳气紧密混和在一起,很难分解。这里所说的阴气,原来就是指的我们现在所说的氧气。欧洲人到十八世纪以后才知道空气和水里有氧气存在,而中国人知道有氧气并且能够分解它,却比欧洲人早一千多年,这不能不使外国的科学家们感到极大的惊奇。
 苏联学者湼克拉索夫编的《普通化学教程》中记述了这个事实。他写道:“在八世纪时,中国学者马和的著作中,就已明确地指出了空气组成的复杂性,提出了制备氧气(‘阴’)的方法,并发展了燃烧的假设,这假设实质上和近代的非常相似。”
 由此可见,氧气的确是中国古代学者最早发现的,而且时间可能更早于八世纪,也许是在六世纪。因此南北朝的时候,炼丹术在中国已经很流行,当时的人就知道用火硝加热等等方法了。
 可惜的是,我们至今不能看见《平龙认》这本书的真面目。到底它是一本什么书呢?首先可以断定,它不是中国古代儒家的什么正统著作,否则它决不至于长期没有付印和流传;其次可以断定,它也不一定是讲炼丹的书,因为历代真正能够炼丹的术士还比较少,著作也较少,书名都不是这样的。估计它最大的可能是一本“堪舆家”的书,因为历来只有堪舆的人到处都有,他们的笔记和抄本也最多,往往最不受人注意,并且有许多是从来没有付印过的,所以容易散佚和流落到外国去。
 在旧中国的乡村中,人们很容易找到看风水的“地理先生”,他们就是所谓堪舆家。据说历来的堪舆家公认的始祖是秦代的樗里子。相传晋代的郭璞有《葬书锦囊经》,陶侃作过《捉脉赋》。所谓捉脉就是捉“龙脉”。后来流行最广的有《水龙经》等书籍。各地普通的风水先生都会看龙脉,都有一套测定风水好坏的方法。甚至于象明代的刘伯温也写了百数十首《堪舆漫兴》,其中列举了北龙、中龙、南龙、干龙、枝龙、生龙、死龙、强龙、弱龙、顺龙、逆龙、进龙、退龙、横龙等种种不同的龙脉。风水先生们流传的口诀中还有“山龙易寻、平龙难认”的语句。这些都可以证明《平龙认》大概是一本堪舆的书、是古代的一位不著名的风水先生写的、不受重视、所以它在一百多年前就流落到外国去了。幸而它被一位学者所发现,与它同类的书籍被埋没的还不知有多少。
 现在看来,我们应该从这件事情的历史过程中得到一条经验,这就是说,对于古代的任何一种著作都应该先看看内容,多加以研究,而不应该轻易抹杀它们的科学意义。

木下 国夫・藤井義則 校正

燕山夜話 第2集13話(通算43話) 平 龙 认