京杭大運河

2022年9月 工藤和直 氏

世界遺産「京杭大運河」は、杭州「拱宸橋」に始まり北京紫禁城北「万寧橋」で終わる

京杭大運河は、中国の北京から杭州までを結ぶ。洛陽から北京、洛陽から淮安までの運河、杭州から寧波間の浙東運河を含めると総延長2500kmに及ぶ大運河である。世界の運河と比較すると、スエズ運河190km・パナマ運河81kmであるから、そのスケールの大きさに驚く。

途中で、海河・黄河・淮河・長江・銭塘江を横断している。春秋戦国時代より部分的には開削されてきたが、隋の文帝と煬帝がこれを整備し、完成は西暦610年であった。大運河は大きく4つになるが、西暦603年から北部の永済渠(洛陽から北京)と通済渠(洛陽から淮安)を作り、既にあった邗溝運河と江南運河を改造して繋ぎ、610年に完成した。

運河建設は人民に負担を強いて隋末の反乱の原因となったが、運河によって経済の中心地“江南”と政治の中心地“華北”、さらに元朝「クビライ・ハーン」によって軍事上の要地である涿郡“大都”(後の北京)が結合して、中国統一の基盤が整備された。この運河は、その後の歴代王朝でも大いに活用され、現在も中国の大動脈として利用されている。中国の電力は石炭を燃焼させる火力発電が多いが、火力発電所は必ずと言って良いほど運河沿いにある。燃料となる石炭を運河によって運搬するので、風雪水害で道路が使えなくても、運河がある限り電力不足にはならない。2014年の第38回世界遺産委員会でシルクロードなどとともに世界遺産リストに登録された(写真1)。

 写真1:大運河地図と蘇州付近の風景

大運河は、杭州市「拱宸橋」に始まる。拱宸橋は西湖から北5kmにあり、高さ16m、長さ92mの杭州で一番長くて高いアーチ式石橋である。創建は明代末西暦1631年、その後清代西暦1721年に改修され、京杭大運河終点のシンボルとなった。「拱」は歓迎の意味であり、「宸」は帝王が住む宮殿という意味がある。昔から皇帝を迎える場所であり、杭州の北玄関であった。

大運河は北上すると蘇州「宝帯橋」に到り、右へ行けば蘇州河を通り上海へ、北に行けば蘇州城内に入るが、西に曲がり寒山寺を通って無錫に到る。その後、常州・揚州を北上して淮安に着く。元代に、ここから済寧・聊城を通る新しい運河が掘削され、隋唐宋時代にあった洛陽や開封への運河が荒廃した。

運河は更に北上して天津に入り、その後北京の東部「通州」に到る。そこで高さ45mの「燃灯佛舎利塔」が迎えてくれる。写真は西暦1860年頃の塔であるが、現在は通恵河入口西海子公園にある。ここから北京紫禁城までが通恵河であり、西5km行けば通州「永通橋」、更に西2kmで紫禁城真北にある「万寧橋」に到り、1800kmの運河の終点となる。紫禁城を作るための石材・木材を始め、あらゆる生活物資がこの運河を使って運搬された。

写真2:京杭大運河にある橋