第3集燕山夜話-3 “推事”种种

燕山夜話

「推事(判事)」の裏表

 古代では事件を裁く官吏を「推事」と呼んだ。この職務は今でいう裁判所の判事のことだ。今の人民法院では「推事」は廃止されてもう存在しない。この判断は正しい。「推事」とは、読んで字の通り、事案を押し戻す意味であるから、「推事」される羽目にあわないほうが幸運であり、推事されるとこまるのである。今は当然「推事」という名の職務を必要としないが、過去の「推事」がのこした余弊や悪風を一掃しなければならない。
 古代の「推事」は、尋常な小官職ではなく、大変高い官職であった。例えば宋代封建政府では、最高裁判所は「大理寺」と呼ばれ、重大事件はすべて「大理寺」に回され裁かれた。「大理寺」で案件の審判を掌る大官は、すなわち「左推事」、「右推事」と呼ばれた。この官職がいかに重要職であったかがわかる。
 解放されるまで長期にわたり、即ち旧中国において推事は大きな制度に膨張し、推事という役職のみでも、監督推事、代理推事、署理推事、受命推事、受託推事、主席推事、陪席推事、独任推事、合議推事、学習推事、候補推事等これだけあった。推事種類の多彩なことを見ても、当時の官僚制度が如何に巨大化、肥大化、腐敗、堕落していたことが見て取れるのである。
 本来、推事の「推」は推求、推薦、推進の意味があり、同時に反対の推却(断る)、推譲(辞退する)、推移(移り変わる)の意味もある。通常後者の意味で使われるほうが多い。従って、推事は、事件をほり投げて知らぬ顔をする意味でもある。推事が増えると、左推事、右推事と増えて、事案はますます構わずほり投げられ、左が推せば、右が推しかえす、無責任でだれもが構わなくなると、大変なことになる。

アニメーション 大理寺日記

 特に社会の分業化が進んでくると、枠内におさまらない仕事が増え、仕事をたらい回しにする人が増えてくる。彼らはいろいろな理屈をこねて、文字通り、左が突っぱね、右が突っぱね、出来るだけ自分が責任をおわないように努める。こんな例は多く、挙げればきりがない。皆さんご存知の、明代の江盈科の『雪濤小説』の中の一文が、推事による古代の弊害をよく表している。次の通りだ。
 “医者あり外科に善(すぐ)るを称う。一禆将阵より回(か)える。流矢に中(あた)り,膜内に入ること深し。 延(まね)いて治さしむ。乃ち并州剪を持し、矢管を剪り去り、 跪きて谢を請う。禆将いわく、镞の内に在る者、須らく急ぎ治すべし。医曰く、此れ内科の事なり、意い并に我を責むるな。”[外科に腕の立つ医者がいた。副将が陣地より帰ってきた。流れ矢に当たり、筋肉深く刺さった。医者を招いて治療させた。医者は并州鋏を手にして、矢管を切り取り、跪いてこれで私の仕事は終わりましたと云った。副将は云った、残っている鏃を、急いで取ってくれ。医者は云った。これは内科の仕事です。悪く思わないで、私の責任ではありません。]
 この本を読むまでは、古代の人にもこんな分業観念があったことを知らなったことでしょう。矢傷は明らかに外科の範囲であるが、この外科医は、矢の管だけを切り落とし、これで外科医の仕事は終わりとした。筋肉にまで突き刺さった鏃は、内科の仕事で、彼には関係ないとしたようだ。これは笑い話であるが、この笑い話を語った人は、極めて厳しい批判精神を現した。
このような、事を他人の責任に擦り付ける推事の風習は、私有財産制度が消滅しないかぎり、なくなることはないだろう。古い時代の悪思想、悪習もすぐに一掃できないのと同じだ。
 私有財産制度の影響をうけて、個人主義が至る所にはびこる恐れがある。仕事を断る風習も、個人主義の表現形態かも知れない。なんでも自分に不利なもの、何でも自分が望まないものには、一切関与しない、これは極端な個人主義の中心思想である。危険に遭遇しても、人によってはダチョウと同じように、頭さえ隠せば安全で、尻が出ていようが屁の河童。これが極端な個人主義の変形といえよう。
 ここでこの思想を別形式で表現した、江盈科の故事を紹介しなければ片手落ちだ。彼は云う。
 「蓋し聞く里中に脚瘡を病う者あり。痛み忍ぶべからず。家人に謂いて曰く:爾、我が為に壁に鑿して穴を為せ。穴成る。脚を穴中に伸ばし,隣家に入ること尺ばかり。家人いわく:此れ何の意ぞ? 答えていわく:他(それ)を隣家に去(い)かしむ。痛み我が事に無し。」[ある村に脚にできものを病む者が居た。痛みに耐えかね、家の者に謂った、この壁に穴をあけてくれ。穴が開くと、脚を入れ、隣の家に尺ばかり突き出した。家人が問うた、これはどういう意味か。答えて云った、痛みが隣の家にゆき、俺との縁が切れるのだ。]
 推事の観点から見ると、脚にできものをこしらえた人が、その脚を隣の家に延ばすと、痛みも隣の家に押し出されるのである。そうすることで、病人の気持ちが落ち着くという。この様な己を騙し人も騙す芝居を誰が信じるだろうか。
 我々がいま提唱しなければならないのは、責任を全うする精神を積極的に提唱し、推事という人に仕事を押し付ける気風を流行らせてはならないと云うことだ。この様な遺風余毒がのこっているのを見付けたら、片っぱしから清掃し追い出そう。

訳・北 基行

【 掲載当時の時代考証と秘められたメッセージ 】

「“推事”种种」ひとそえ

 「中国法院網」のサイトの2022年11月11日付「人民法院報」に南京市江寧区人民法院の呂潤進氏が「燕山夜話」鄧拓氏と同じ主旨の文章を載せている。明代江盈科《雪涛小说·外科医》の引用に到るまで『推事種種』とほぼ同じ構成であることに驚かされてしまう。また、同サイトの2023年8月25日に「清亡后,民国政府沿用了“推事”称谓。1921年以来,中国共产党建立的革命政权中,都包含审判机关,内设承审员或裁判员。抗战时期,因统一战线需要,陕甘宁边区高等法院审判人员统称“推事”,但县级司法处则称“审判员”。1948年9月之后,按照毛泽东关于“各种政权机关都要加上‘人民’二字,如法院叫人民法院”的指示,解放区审判机关统称“人民法院”,“推事”全部改称“审判员”」とあり、「推事」は辛亥革命後も存続していて、新中国になって「審判員」と改称されたとある。たまたま見かけた「中国法院網」からの孫引きで恐縮ながら時代背景の参考になれば幸いです。
 それにしても2022年の呂氏の大胆不敵な「燕山夜話」の引き写しの背景や目的の方にも興味が湧く。もしかして今や「燕山夜話」は世間一般には読まれなくなっていることの暗示であろうか?

文・井上邦久

“推事”种种 原文

 古代审判案件的官员叫做“推事”,这个职务相当于现在法院的审判员。我们人民的法院现在已经没有“推事”了。这是正确的。因为顾名思义,推事当然不如不推事的好。所以,我们不但不需要“推事”这个职务名称,而且还要扫除“推事”的一切遗风余毒。
 “推事”在古代,远不只是寻常的小官职,而是很高的官职。比如宋代的封建政府,设有最高的法院,叫做“大理寺”。所有重大的案件都必须交由“大理寺”审判。在“大理寺”中直接审判各种案件的大官,便是“左推事”和“右推事”。可见这个官职在过去多么重要了。
 一直到解放以前,在旧中国,推事居然成了一个制度,名目繁多,有什么监督推事、代理推事、署理推事、受命推事、受托推事、首席推事、陪席推事、独任推事、合议推事、学习推事、候补推事等等。光从推事的这许多名目上,就可以看出当时的官僚制度庞大、臃肿、腐败、落后到何等惊人的地步。
 本来,推事之“推”包含有推求、推举、推进的意思。但是,它同时又包含有推却、推让、推托、推移的意思。而且,通常这个字更多地被使用在后一类的意义上。因此,一提到推事,人们就会以为是把事情推出去不管。这样,推事越多,事情就越发没有人管,彼此左推右推,谁也不肯负责,岂不糟糕!
 特别是在社会分工方面,如果有不合理的地方,那末,推事的人就一定会多起来。他们可以用种种借口,真个是左推事,右推事,力图推卸自己应负的责任。这类事例,实在多得很。大家比较熟悉的明代江盈科的《雪涛小说》中有一段记载,十足地证明了古时推事遗风的为害。请看这一段文字吧:
 “有医者称善外科。一裨将阵回,中流矢,深入膜内,延使治。乃持并州剪,剪去矢管,跪而请谢。裨将曰:镞在膜内者,须急治。医曰:此内科事,不意并责我。”
 不看这段文字的,还不了解古代的人竟然有这样严格的分工观念!受箭伤的明明属于外科的范围,而这位外科医生只把箭杆切掉,就算完事;至于箭头深入皮肉之内,则属于内科的范围,似乎与他毫无关系了。这虽然是笑话,但是,说这个笑话的人却表现了一种严肃的批评精神。
 显然,这种推事之风,在私有财产制度没有彻底消灭以前,大概是不可能完全绝迹的,正如旧社会的其他坏思想,坏习惯的残余不可能一下子被扫除干净一样。由于私有财产制度的影响,个人主义到处都有滋生的可能。推事之风也不过是个人主义的一种表现形态而已。一切对自己不利的,一切非自己所愿意的,一律不管,这就是极端个人主义者的中心思想。甚至于遇到危险,有的人会象鸵鸟一样,只要把头藏起来就觉得很安稳了,即便身子露在外面似乎也没有什么关系。这不也是极端个人主义思想的一种变态吗?
 这里应该提到江盈科说的另外一个故事,可算得是这种思想的又一表现。他说:“蓋聞里中有病脚疮者,痛不可忍。谓家人曰:尔为我凿壁为穴。穴成,伸脚穴中,入邻家尺许。家人曰:此何意?答曰:凭他去邻家,痛无与我事。”
 用推事的观点看来,这位脚上长疮的人,把脚伸到邻家,当然他的脚痛也就被推出去了,于是,他自己在精神上无疑地可以得到了安慰。然而,这样自欺欺人的把戏又有谁相信呢?
 我们现在提倡的是大胆负责的精神,在我们看来,推事之风决不可长。如果在什么地方发现有这种遗风余毒,就一定要把它扫除干净。

木下 国夫・藤井義則 校正

燕山夜話 第3集3話(通算62話) “推事”种种