第3集燕山夜話-4 涵 養

燕山夜話

涵養とはなにか

朱 熹

 涵養をひとしきりくさしたが、古人が大切にしてきた涵養の心得を、頭から黙殺しようというのでない。古人にも涵養に関わる心得がいろいろあるので、個別に分析したうえ内容を判断して、取捨選択する必要がある。
 例をあげると、宋の林昉は『田間書』でこう書いている。
“木彫るべし,而れども度を越すを病む。金鋳るべし、而れども冶を躍すを病む。木、度を越し、金、冶を躍せば、良工ありと雖も、巧将に安くんに施こさん? 是の故に君子は質を養い以て器を成す。” 
[木材は彫ることができるが、ほりすぎると材を駄目にする。金は鋳造することが出来るが、湯の熱をあげすぎると、材質を駄目にする。木は彫りすぎ、金は湯の温度をあげすぎると、名工であっても、この素材に技を加えることが出来ない。これと同様に、君子は、資質を養い大器となすのである。]
 言っていることは正しい。彫り損ねた木、精錬不良の金属は、使いようがない。いくら彫刻家として技術がよくても、材質が悪ければ、それをよい作品に仕上げることが出来ない。林昉が述べている“养质以成器”[質を養い大器となす]とは、現在の言葉に直せば、優良な材質を作り出し、優秀な人材を育てる、である。
 もうひとつ、忍耐であるが、古代の学者は、挙げて之を讃頌し、性急を戒めるが、これも筋が通らない。明代の作家、江盈科の『雪濤小説』にこんな故事がある。
 “一仕宦將に官に之かんとし、其の厚友之を送り、囑して曰く、公宮に居れば他の難無し、只だ煩に耐えることを要す。仕者は唯唯たるのみ。再び囑し、三たび囑し、猶を唯唯たり。四、五たびに及び、其人忿然と怒り曰く、君我を以って呆子と為す乎? 只此の二字、奈何ぞこれを言うこと四度を數う!?厚友曰く、我說うこと兩次多きのみ、なんじ遂に惱を発す、輒ち能く煩に耐えること可なるを謂うか? ”
[ある男が官吏の職を得て都にいくことになった。その親友が彼を見送った。忠告していった。お前さんが役所で働く上で難しいことはなにも無い。ひたすら耐えることだ。耐えて、耐えて、猶耐えることだ。耐えろという忠告が、四回、五回に及び、その男は憤然と怒り云った。お前はおれを阿保扱にするな。耐えろということを何で四度も繰り返したのだ。そこで親友は云った。おれは、耐えろと、二回多く言っただけだ、それでお前は怒り出した。これがすなわち、耐え忍べだ]
 つづけて作者は評論の言葉を加えている。“此に耐烦の当然なることを知る。小に遇するに及び耐えるべからざれば、 而して遂に能く耐えざる者なり。余の信忍と耐煩を以て難能と為す所なり。”[これ故に耐烦が当然ひつようなことが分かるのだ。小さなことに耐えらなければ、それは結局耐えることができない人なのだ。私が信忍と耐烦が難しいことであると信じる所である。]作者の云わんとするところは明確で、忍耐ひとすじのみであると主張している。
 誰もが無条件に忍び難きを忍ぶことは、社会に悪影響があっても良いことはないだろう。『応諧録』の中で明代劉元卿が、嘽子を用いてこのように風刺している。
 “于嘽子、友と床を連ね、炉を圍みて坐す。其の友案に拠りて書を閲し、而して裳を火に曳き、熾ること甚し。于啴子従容と起ち、友の前に向かいて拱立し、礼を作て而して詞を致して曰く:適に一事有り、以て奉告せんと欲し、君の天性躁急を諗い、君を激し怒らしむを恐る。以て告げざらんと欲せば、則人と忠非ず。惟だ君宽假し、能く其の怒を忘れんことを、而る後に敢えて言わん。友曰く。君何を陳(い)う有や、当に谨んで教えを奉うべし。于啴子復た謙譲すること初めの如し。再に至り三たびに至り、乃ち始て言に逡巡して曰く。 时に火君の裳を燃やさんとするなり。友起ちて之を視れば、則甚だ毁てり。友色を作りて曰く。急ぎ以て告げざるは如何せん。 而るに遷缓たること是の如し。 于啴子曰く。人謂う君は性急なりと、今果して然るや。”[于嘽子が友と椅子を並べ、囲炉裏を囲って、坐っていた。友は机にもたれて本を読んでいた。その裳裾に囲炉裏の火がつき、激しく燃えていた。于嘽子は従容として起ち、友の前で手を組み、体を折り曲げて、礼をして言葉を選んで言った。申しあげたいことが一つあります。お告げしようと思いますが、君の気性が性急であることを思い、君が怒るのでないかと恐れます。そうかと言って、申し上げねば不忠であります。どうか気を大きく持ち、怒らないならば、申しあげます。友は言った。「君が言いたいことがあれば、謹んでたまわりましょう。」于嘽子また最初のように謙譲して、再三再四礼をして、それから始めて憚りながら云った。「今、火が君の裳裾を焦がしていいます。」友は立って裾を見ると、ひどく焦げていた。友は色をなして言った。「なぜ早く教えてくれなかったか。こんなにぐずぐずして。」于嘽子が云った。「皆さんが、君はせっかちだと言います。今、それが分かりました。] 
急ぐべき火災の処理を、嘽子のようにのろのろ行うことは、言語道断であり、こんな態度に賛成する人はいないだろう。
では、人がそなえている涵養の有るなしを、どこをみて判断すればよいか。
“君子は人の能く忍ばざる所を忍び、人の能く容れざる所を容れ、人の能く處せざる所に處す。”[君子は、人が忍べない所を忍び、受容できない受容し、処すことの出来ない悪い環境にあっても処してゆく、それが君子だ。]これは明末の朱袞が『観微子』で述べた言葉であるが、この表現が意を言い尽くしていると思う。これに、「一定条件のもと」、と一言加えれば、ほぼ完璧だろう。このような意味合いにおいて涵養精神について議論すれば、非難するひともなく、おおいに世に広めようとなるであろう。

訳・北 基行

【 掲載当時の時代考証と秘められたメッセージ 】

「涵 養」ひとそえ

 本編が書かれ「北京晩報」に掲載された頃「涵養」という言葉は北京市民が普段使いする言葉ではなかったのでしょうか?
 「涵」(han)は水が滴り浸みていく意味があり、本字はサンズイの隣が「圅」だったようです。「養」(yang)は、やしなうの意味で養生、滋養、教養などに使われ、清代には「養廉金」といった奇妙な俸給制度もあったようです。「涵」「養」ともに文字の中に「羊」が隠れているような気がします。美・義・羞など抽象的概念の表現が多い「羊」を取り込んだ文字の例かも知れません。
 たまたま講読会では第4集11番目の『地下水和地上水』を課題にしたばかりで、水について調べる過程で涵養森林や地下水涵養などの言葉を知りました。こちらは具体的な「涵養」表現でした。
 経済改革・対外開放政策が叫ばれた時代になって、「韜光養晦」という馴染みの薄い言葉がスローガンとして使われはじめ、才徳を包み隠し本来の姿をくらます、という古い言葉の新しい政策用語としての使い方を知りました。元来過剰な表現を好むお国柄ですから遁世隠居の意味もある「韜光養晦」の政策用語としての賞味期限が短かったのは当然で、昨今では日常使いをしなくなったようです。

文・井上邦久

「涵 养」 原文

 常常听人说,某甲很有涵养,某乙缺乏涵养,如此等等,议论不能说没有一点道理,但是,实际上却往往没有一定的标准。
 究竟什么是涵养?符合什么样的标准,才算有涵养呢?对于这个问题,我们和古人当然有不同的看法。
 宋代的大理学家朱熹,提倡人们要学习孔子的涵养工夫。打开《朱子大全》就可以看到,他在好几处主张“平日操持,庄敬诚实,涵养内心,戒矜躁,去嗜欲”。这种主张,一般地说并没有什么错误,不过从他的根本思想上以及后人对这种观点的解释和运用上看来,就都变成了消极的对一切采取无条件容忍的态度,甚至有人主张“逆来顺受”,就更加荒谬了。
 我们的看法和古人的这种看法有根本的不同。我们所说的涵养,主要是从政治上着眼,也就是要强调政治上的锻炼和修养。比如,处理任何事情都要有鲜明的立场、坚定的原则、正确的态度,但是不排斥灵活的方式方法。对于那些丧失革命立场、采取无原则迁就的任何做法,我们绝对不能容忍。有一班人八面讨好,谁也不得罪,自以为很有涵养,其实在我们看来乃是典型的“乡愿”,多么卑鄙可耻啊!
 然而,这并不是说,对于古人的涵养工夫,我们可以一笔加以抹煞。问题完全不是这样简单。古人有各种各样的涵养工夫,应该加以分析,做出恰当的判断,然后分别对待,有所取舍。
举例来说,宋代林昉的《田间书》写道:“木可雕,而病于越度;金可铸,而病于跃冶。木越度、金跃冶,虽有良工,巧将安施?是故君子养质以成器。”这个道理自然是对的。雕坏了的木头和没有炼成的金子,确实是不能用的,即便你的手艺再好,恐怕也没有法子把它们制成什么好东西。林昉说的“养质以成器”,如果翻译为现时的口语,那末,我们说培养优良的品质,造就有用的人才,难道不正是这个意思吗?
 至于有许多古代学者片面地反对性急,一味地赞扬忍耐,简直毫无道理。明代江盈科的《雪涛小说》中写了一个故事说:“一仕宦将之官,其厚友送之,嘱曰:公居官无他难,只要耐烦。仕者唯唯而已。再嘱,三嘱,犹唯唯。及于四、五,其人忿然怒曰:君以我为呆子乎?只此二字,奈何言之数四!? 厚友曰:我才多说两次,尔遂发恼,辄谓能耐烦可乎?”接着作者加了几句评论说:“此知耐烦之当然,及遇小不可耐,而遂不能耐者也。余所以信忍与耐烦为难能也。”作者的用意非常明显,就是一味地主张忍耐而已。
 假若每个人果真都是无条件地对一切事情采取忍耐的态度,那一定只有害处,决无好处。正如明代刘元卿的《应谐录》中曾经讽刺的于啴子,便是一例。这个故事写道:“于啴子与友连床,围炉而坐。其友据案阅书,而裳曳于火,甚炽。于啴子从容起,向友前拱立,作礼而致词曰:适有一事,欲以奉告,谂君天性躁急,恐激君怒;欲不以告,则与人非忠。惟君宽假,能忘其怒,而后敢言。友曰:君有何陈,当谨奉教。于啴子复谦让如初,至再至三,乃始逡巡言曰:时火燃君裳也。友起视之,则毁甚矣。友作色曰:奈何不急以告?而迂缓如是!于啴子曰:人谓君性急,今果然耶?”象于啴子这样慢吞吞地处理火烧的急事,简直是荒唐至极,谁也不应该赞成他的这种态度。
 那末,一个人的涵养如何,到底应该从哪里下判断呢?明代朱袞的《观微子》中说:“君子忍人所不能忍,容人所不能容,处人所不能处。”这里只要加上一定的条件,就是要看什么性质的问题,而不是无条件地笼统对待,意思就比较周全。照这样的意思来谈涵养的工夫,则不但无可非议,而且完全应该加以倡导。

木下 国夫・藤井義則 校正

燕山夜話 第3集4話(通算63話) 「涵 养」