甚解を求めず
如何なる問題でも、「不求甚解」[甚解を求めず]はよくないことと思われているが、そうとばかりは言えない。枝葉末節にこだわるなと提唱する必要はないが、そうかといって盲目的にこれに反対する理由もない。
「不求甚解」[甚解を求めず]という言葉は、陶淵明が最初に使ったと云われる。陶淵明は『五柳先生傳』という短い文章の中でこう述べている。「読書を好めども、甚だ解することを求めず。意を会する毎に、便ち欣然と食を忘る。」[読書は好きであるが、徹底的理解を求めない。著者の主張が私の意見と合致する度に、嬉しくなって食事も忘れるのである。] 世間では前半のみを取り上げ、後半を切り棄てるので、陶淵明の読書態度に不満を覚えるようだ。わざわざどうして後半を切り捨てるのか。かれの言葉は、前後が緊密に組合されており、交互作用により意味が深化され、極めて明瞭になる。これが古人の正しい読書姿勢であり、われわれは謙虚にこれを学ぶべきであり、かれの主張に対して、無暗に乱暴で理不尽な非難をしてはならない。
読書習慣を養うことは大切であることに異論はない。本を全く読まない、または本を読むのが嫌いであれば、読書法に関して、甚解を求める、或いは甚解を求めないと議論しても始まらない。本を読まなければ、知識を得ることができないし、本を読むのが嫌いであれば、大事な道理が述べられている本も、素通りするであろう。この場で、発言権のあるのは、最低限、読書好きな人である。真剣に本と取り組めば、読めば読むほど興味が湧き、書中にある道理に対して自ずと理解が進む筈である。一夜漬けで、全ての書を読み切ることは不可能だ。特に難解な経典的重要著作では、自信のある人は誰もいない。ところで、読書の要訣は、つまるところ「会意」(「会心」ともいう、著者の意思と読者の気持ちが一致すること)にある。この一点については、陶淵明の見解は、他を寄せつけない第一人者と云えよう。真の会意に到ると喜びのあまり飯を食うのも忘れるのである。
このように、読書は「会意」にあると陶淵明が主張するが、真の「会意」が簡単でなはないので、その一歩手前にある「甚解を求めず」という言葉を用いているのだ。「不求甚解」の四字が意味する所は、二つある。一つは、虚心であれ、学を志す者は、自負驕慢に溺れてはならない。どんな本でも読めばわかるという人も、実際は書中で説かれる真意が理解できているとはかぎらない。やはり真面目にこつこつと「不求甚解」するのがよろしい。二つ目は、読書法の説明である。一点にこだわらずに、一字一句をかみ砕いて、前後の意を貫通させ、大意を理解する。この二つの意味するところは大変重要で、どうか実践していただきたい。
レーニンは嘗て度々プレハーノフを批判して、彼がマルクスの著作を熟読したというが、実際はマルクスの著作を多分に曲解する過ちを犯していると述べている。今日、我々はマルクス・レーニンが書いた経典にたいして、虚心坦懐な態度で臨むべきで、全て理解したとみなしてはならない。分かっていない点がまだまだある。経典的著作を熟読して、その中に書かれている真理を理解し、それを我々の業務の上に正しく活用していくためには、不断の努力学習が求められる。よく学び、丸暗記を避けて、生きた読書をしなければならい。即ち経典著作の一字一句を暗記するにとどめず、経典著作の実質精神を理解しなければならない。
この面においては、古人の成功経験談がたくさん残っている。諸葛亮の読書は、このような方法であった。。王燦の『英雄記鈔』はこう書いている。諸葛亮と徐庶、石広元、孟公威等が一緒に学んでいた、「三人 精熟に務む、而して亮獨り其の大略を觀る」[三人一緒に精熟に励んだが、亮一人だけが全貌を理解した]。諸葛亮は徐庶等より賢明であり、大略を掴むという人だったらしく、知識も広汎に及び、問題理解も全面的に出来たようだ。
そうとはいえ、本はいいかげんに読んでよい、不真面目でもよいといっているのではない。ここは絶対に誤解しないでいただきたい。大略を押さえるにも真面目に本を読むことが求められる。只、一字一句に拘泥してはならない、小にとらわれ大を逃がしてはならない、局部に眼を取られて全体を見失ってはならない。
宋代の理学者陸象山の語録にこのように書かれている。「讀書は且(しばらく)平平と讀み、未だ曉(あき)らかならざる処は且つ放過し、必ずしも太滯せず。」[読書は気をはらずに読み、意味不明の箇所は一旦捨て置き、意味不明箇所に拘らない]これも小さいことにとらわれて大を失うなと教えている。「未だ曉(あき)らかならざる処は且つ放過」は、「不求甚解」の表現と似通った処がある。「放過」は、捨て置くこことで、あくまで一時的な処置で最後にはその真意を了解するのである。
経験では、本は一、二回読んでわからない箇所も、三、四回と読むと理解できる。ある時は、前半に理解できない箇所も、後半に読み進んで、突然ぱっとひらめくことがある。本によっては、昨日読んで分からなかったことが、二、三日経って読み直すと、分かった気になることもある。その実まだ真の理解には至っておらず、後に実際の知識が備わってほんとの理解になる。であるから、大切な書は常に反復して読み返すことだ。毎回、本を開けば、「開巻益有り」の気持ちを味わうことができる。
訳・北 基行
【 掲載当時の時代考証と秘められたメッセージ 】
「不求甚解」ひとそえ
鄧拓は陶淵明の『五柳先生伝』冒頭の出自・性格に続く読書の項、「好読書、不求甚解。毎有会意、便欣然忘食。」を取り上げている。
五柳先生は実在していない。五柳先生は陶淵明本人であるという事になっているが、あくまでも「伝」であるので虚構化されている。
前七文字「読書を好み、甚解を求めず」については、「漢代の儒者に章句訓詁の穿鑿附会が多く、孔子の旨を失する也」という方宗誠の注釈を引用して、「煩瑣主義」に向けて放った陶淵明の皮肉な矢だった、と一海知義『陶淵明―虚構の詩人―』は評している。
後九文字「意に会する毎に、便ち欣然として食を忘る」は古文によく見かける「〇〇して食を忘る」の型であり、読み人と書物の幸せな遭遇により寝食を忘れる状態であろう。陶淵明も五柳先生も作者の鄧拓も欣然として、この合計16文字を味わったことであろう。
鄧拓の時代、「煩瑣主義」「訓詁主義」の対象は孔子の旨そして儒教ではなく、本文の後半に出てくるマルクス・レーニン主義の経典であり、その中国版経典への解釈が党内の路線闘争に繋がったと見るのは穿鑿附会であろうか。
文・井上邦久
「不求甚解」 原文
一般人常常以为,对任何问题不求甚解都是不好的。其实也不尽然。我们虽然不必提倡不求甚解的态度,但是,盲目地反对不求甚解的态度同样没有充分的理由。
不求甚解这句话最早是陶渊明说的。他在《五柳先生传》这篇短文中写道:“好读书,不求甚解;每有会意,便欣然忘食。”人们往往只抓住他说的前一句话,而丢了他说的后一句话,因此,就对陶渊明的读书态度很不满意,这是何苦来呢?他说的前后两句话紧紧相连,交互阐明,意思非常清楚。这是古人读书的正确态度,我们应该虚心学习,完全不应该对他滥加粗暴的不讲道理的非议。
应该承认,好读书这个习惯的养成是很重要的。如果根本不读书或者不喜欢读书,那末,无论说什么求甚解或不求甚解就都毫无意义了。因为不读书就不了解什么知识,不喜欢读也就不能用心去了解书中的道理。一定要好读书,这才有起码的发言权。真正把书读进去了,越读越有兴趣,自然就会慢慢了解书中的道理。一下子想完全读懂所有的书,特别是完全读懂重要的经典著作,那除了狂妄自大的人以外,谁也不敢这样自信。而读书的要诀,全在于会意。对于这一点,陶渊明尤其有独到的见解。所以,他每每遇到真正会意的时候,就高兴得连饭都忘记吃了。
这样说来,陶渊明主张读书要会意,而真正的会意又很不容易,所以只好说不求甚解了。可见这不求甚解四字的含义,有两层:一是表示虚心,目的在于劝戒学者不要骄傲自负,以为什么书一读就懂,实际上不一定真正体会得了书中的真意,还是老老实实承认自己只是不求甚解为好。二是说明读书的方法,不要固执一点,咬文嚼字,而要前后贯通,了解大意。这两层意思都很重要,值得我们好好体会。
列宁就曾经多次批评普列汉诺夫,说他自以为熟读马克思的著作,而实际上对马克思的著作却做了许多曲解。我们今天对于马克思列宁主义的经典著作,也应该抱虚心的态度,切不可以为都读得懂,其实不懂的地方还多得很哩!要想把经典著作读透,懂得其中的真理,并且正确地用来指导我们的工作,还必须不断努力学习。要学习得好,就不能死读,而必须活读,就是说,不能只记住经典著作的一些字句,而必须理解经典著作的精神实质。
在这一方面,古人的确有许多成功的经验。诸葛亮就是这样读书的。据王粲的《英雄记钞》说,诸葛亮与徐庶、石广元、孟公威等人一道游学读书,“三人务于精熟,而亮独观其大略”。看来诸葛亮比徐庶等人确实要高明得多,因为观其大略的人,往往知识更广泛,了解问题更全面。
当然,这也不是说,读书可以马马虎虎,很不认真。绝对不应该这样。观其大略同样需要认真读书,只是不死抠一字一句,不因小失大,不为某一局部而放弃了整体。
宋代理学家陆象山的语录中说:“读书且平平读,未晓处且放过,不必太滞。”这也是不因小失大的意思。所谓未晓处且放过,与不求甚解的提法很相似。放过是暂时的,最后仍然会了解它的意思。
经验证明,有许多书看一遍两遍还不懂得,读三遍四遍就懂得了;或者一本书读了前面有许多不懂的地方,读到后面才豁然贯通;有的书昨天看不懂,过些日子再看才懂得;也有的似乎已经看懂了,其实不大懂,后来有了一些实际知识,才真正懂得它的意思。因此,重要的书必须常常反复阅读,每读一次都会觉得开卷有益。
木下 国夫・藤井義則 校正
燕山夜話 第2集26話(通算56話)「不求甚解」