第2集燕山夜話-11 養牛はメリットが多い

燕山夜話

養牛はメリットが多い

 北京周辺の農民はなぜか牛を飼うことをあまり好まない。単に習慣の違いだろうと云う人がいるが、私はなにか原因があるとおもう。牛飼育のメリットをまだ十分認識していないのなら、農村で一度宣伝を行い、牛の飼育を提唱してはどうか。
 実は、牛の飼育にはメリットが多い。が、メリットに対して、まだ人々の認識は不十分である。そのうちに理解がすすむだろう。最初、牛はその肉が美味いので全国に知れ渡った。だから、昔の人は、肉を食うために養牛した。『礼記』にこのような記録がある。例えば “天子を祭るに犠牛を以てす”[天子をお祭りするのに、犠牲の牛を捧げた]、“中央に土して、稷と牛を食ふ”[丸く土を盛りあげ、キビと牛をお供えして、祭ったあとで食べた]。牛が車を引けることを見つけたのは、その後のことである。例えば『詩経』の“牽車に牛つかふを肇む[車牽引に牛を使いはじめる]”や『易経』の“牛を服し馬を乗(なら)す”[牛を使い、馬を馴らす]等の記載がこのことを証明している。牛を使って田畑を耕すことはあまり盛んでなかった。漢武帝の時代に、趙過が牛耕をはじめそれが広がった。牛を用いて耕田するようになったのはこれ以後のことである。今日では、牛一頭が騾馬一頭半の仕事――車を牽く、田を耕す――をこなすことは、常識で農民は誰でも知っている。
 耕田、車引きは、どんな牛にもでき種類に関係ない。唐代の陳臓器の『本草捨遺』はこのように述べている。“牛に数種有あり、本経は黄牛、烏牛、水牛を言はず、但し牛を言ふのみ。南人は水牛を以て牛と為し、北人は黄牛、烏牛を以て牛と為す。牛種既に殊れば、入用当に別なるべし。”[牛には、黄牛、烏牛、水牛の数種類あるが、本書では区別せず牛とする。中国南方では牛といえば水牛を指し、北方では黄牛、烏牛を指す。牛種が異なる以上、それぞれ利用価値がことなる] 陳臓器は医学者であったから、医学の観点から牛を薬用上の違いにもとづいて区別した。しかし労働力としてみれば、水牛、黄牛もおなじで、耕田、車引きができて変わりがない。

 明代の李時珍も次のように述べている。“秦牛、水牛の二種あり。秦牛は小にして水牛は大なり。秦牛に黄、黒、赤、白、駁雑の数色あり。水牛は色青蒼、大腹、鋭頭にして、その状猪に類し、角は矛を担うが若(ごと)く、能く虎と闘す。亦白色の者あり、郁林人は之を州留牛と謂う。又広南に稷牛あり、即ち果下牛にして、形最も卑小にして、爾雅は之を罷牛と謂ふ。王会篇は之を牛と謂う是なり。”[秦牛と水牛の二種類がある。秦牛は小さく、水牛は大きい。秦牛には黄、黒、赤、白、まだらの数色がある。水牛は、青黒く、腹が大きく、頭が鋭い。形はイノシシに似て、角は矛を担ったようで、虎とも戦う。白色のもある。郁林人はこれを州留牛と呼ぶ。広南には稷牛がいる。即ち果下牛で、小型である。爾雅という書ではこの牛を罷牛と呼ぶ。王会篇は、牛と呼ぶのはこれだという。]現在北京で多く見かけるのは黄牛、即ち李時珍が言う秦牛の一種である。
 黄牛の動物学上の正式名称は、“普通牛”である。この牛は通常草のみを食い、飼料をやる必要がないが、体力が強大で、重労役にも耐え得る。動物学者によると、黄牛は長角、中角、短角、角なしの数種類に分かれる。そのうち角なしの雑種交配改良品種を除くと、長角に良種は少なく、中角は全て良種であり、短角の黄牛は最良種である。我が国の北では、この短角が多い。この黄牛を増やせば、農業にも役立つ。
 農村では、家畜を飼う人はみな飼料の節約を望む。牛の飼育は、ちょうどこの目的にあい、おおいに推奨するべきである。牛は、胃に四個の嚢があるので、反芻動物といわれる。一つは胃嚢の形状が瘤子(こぶ)に似るから、瘤胃と呼ぶ。一つは胃嚢の内壁に蜂巣状の皺紋があるので、蜂巣胃と呼ぶ。また一つに胃嚢の内壁に多くの長辮があるので、重辮胃と呼ぶ。又一つの胃嚢の内壁に密生した皺紋があるので、皺胃と呼ぶ。牛は雑草を食べ呑み下し、瘤胃で温め、蜂巣胃に移し多くの胃液を加えて、また口に戻してもう一度細かくかみ砕き、再度飲み下してあらためて辮胃に送り、その後重辮胃に入れ、また皺胃を経過する。重辮胃と皺胃の両者は、あたかも食品加工場のように雑草を栄養価の多い物質に変成する。最後に食物は腸に入る。牛腸はまた特に長いので、食物のすべての養分を充分に吸収することが出来る。黄牛は草を食べるのみで強大な体力をもつ秘密はすなわちここにある。

 農繁期に、トウモロコシや豆類を喰わせる習慣があるが、これは特殊状況下であって、しかも用料は多くない。一般的に云って、穀類を全然使わなくても牛を飼うことができる。仕事がきつい時は、草を十分に喰わせるだけで、穀類をやらなくても問題はない。このことは、養牛は、騾馬やその他家畜を飼うよりも、一層経済的であることを説明している。
 しかも、牛の全身は捨てるところがなく、すべてが宝であることは確かである。牛肉や牛乳が栄養に富むことはご承知の通りで、牛皮から最高の皮革がとれ、膠もとれて、むくみの治療薬として特効がある。これらは周知の事実であるが、李時珍によると、牛脂は疥癬治療に効き、牛髄は糖尿病の治療に効き、牛脳は胸腹部しこりに効き、牛胆は下痢に効き、牛黄は癲癇に効き、牛角と牛骨焼灰は吐血症と婦女子宮出血に効く。これに加えて、牛角、牛骨等は全て現在工業の重要原料であり、骨粉もまた最良の土質改良材、牛糞もまた大量の信頼できる肥料である。
 こんなわけで古今に愛牛家が多く、しかも牛にまつわる多くの神話伝説が民間に伝わっている。悲しいことがあると、牛も涙をながす。牛は人の感情を解するようで、古来多くの詩人に牛を詠んだ詩が残っている。隋朝の人、柳辯は、飼っていた牛が死んだので、牛を悼んで詩を詠んだ。その詩に云う、“一朝紺幰を辞し、千里黄河を別つ。衣に対して徒に泣(なみだ)下す、角を扣ちて詎(いずくん)ぞ歌を聞かんや?!”[お前が紺色の幌より消えて、千里の黄河を隔てることとなった。涙がこぼれて止まらない、角を叩いてお前に問う、どうして俺の歌、聞こえないのだ?]これは我々が知る最も早期の牛を悼んだ詩である。
 以上、風呂敷をひろげたが、牛の農業生産における身近な効用はまだまだ多い。あとは、見ればわかることであり、このへんで筆をおくことにする。

养 牛 好 处 多 原文

 北京郊区的农民似乎不大喜欢养牛,这是什么缘故呢?有的同志说,这仅仅是习惯的问题。我想其中恐怕还有别的原因,特别是因为人们在认识上可能还不明白养牛的好处,所以有必要在农村中进行一番宣传,提倡养牛。
 其实养牛的好处多得很。不过,人们对于它的好处,却是逐渐发现和逐渐认识清楚的。最初,人们只晓得牛肉很好吃。因此远古时代的人,养牛首先是为了吃肉。《礼记》上边有许多这样的记载,如:“祭天子以牺牛”、“中央土,食稷与牛”等等。但是,很快人们又发现牛还能够拉车。如《书经》的“肇牵车牛”和《易经》的“服牛乘马”等记载,就证明了这一点。用牛来耕田起初还不普遍。到了汉武帝的时候,赵过推广了牛耕的方法,从此以后,人们才普遍地用牛来耕田。至于我们现在有经验的农民一定会知道,无论拉车或者耕地,一头牛顶一头半骡马,是不成问题的。
 牛的种类虽有不同,而它们在耕田、拉车等方面的作用却都一样。唐代陈藏器的《本草拾遗》说:“牛有数种,本经不言黄牛、乌牛、水牛,但言牛尔。南人以水牛为牛,北人以黄牛、乌牛为牛。牛种既殊,入用当别。”因为陈藏器是医学家,所以他只从医学的观点来区别各种牛在药用上的不同。而实际上,无论水牛、黄牛不是同样能够耕田、拉车吗?
 明代的李时珍也说:“牛有𤚩牛、水牛二种。𤚩牛小而水牛大。𤚩牛有黄、黑、赤、白、驳杂数色。水牛色青苍、大腹、锐头,其状类猪,角若担矛,能与虎斗;亦有白色者,郁林人谓之州留牛;又广南有稷牛,即果下牛,形最卑小,尔雅谓之、(牛罢)( )内を一字とします牛,王会篇谓之纨牛是也。”我们现时在北方最常见的是黄牛,即李时珍所说的𤚩牛的一种。
 这种黄牛在动物学上的正式名称,就是“普通牛”。它平常只吃草,不必喂料,而体强力大,能够担负很重的劳役。据动物学家说,黄牛有长角的、中角的、短角的、无角的几种。其中除无角的属于杂交改良的品种以外,长角的好种不多,中角的多是好种,短角的黄牛则是最好的一种。在我国北方,恰恰是短角的黄牛较多,所以多养这种黄牛对于农业生产会有很大的好处。
 在农村中,养牲口的都希望能够节约饲料,正是为了这个目的,我们就特别应该提倡养牛。因为牛是反刍动物。它的胃有四个囊。一个胃囊的形状象瘤子,叫做瘤胃;一个胃囊的内壁有蜂窝状的皱纹,叫做蜂窝胃;又一个胃囊的内壁有许多长瓣,叫做重瓣胃;又一个胃囊的内壁有很密很细的皱纹,叫做皱胃。牛吃进杂草。经过瘤胃润湿以后,转入蜂窝胃就增加了很多胃液,然后又翻上去到嘴里重新细嚼;再吞下去就重新进入瘤胃,然后进入重瓣胃,又经过皱胃。重瓣胃和皱胃这两个地方,仿佛是食物加工厂,使杂草变成了很有营养的东西。最后食物入肠。牛肠又特别长,所以它能够充分吸收食物的全部养分。黄牛光吃草而体强力大的秘密就在这里。
 当然,养牛的人在农活最繁重的时候,也要用一些玉米、豆子等去喂牛,但是,这是特殊的情况,而且用量不大。一般地说,喂牛可以完全不用料。做活重的时候,只要把草喂足喂好,不喂料也没有关系。这更可以说明养牛比养骡马等其他牲畜要经济得多。
 而且,牛的全身确实都是宝。牛肉、牛奶富于营养不必说了,牛皮可以制成最好的皮革,还可以制成阿胶,用它治疗浮肿有特效,这些也是人所共知的。据李时珍说,牛脂可治疥癣,牛髓可治糖尿病,牛脑可治痞病,牛胆可治痢疾,牛黄可治癫癎,牛角和牛骨烧灰可以治吐血症和妇女血崩。不但这样,我们知道牛角、牛骨等都是现代工业的重要原料,骨灰又是最好的肥田粉,还有牛粪更是大量可靠的肥料。
 怪不得古今有许多爱牛的人,并且有许多关于牛的神话流传在民间。牛似乎对人也颇有感情,遇有伤心的时候,它也流下了眼泪。古来不少诗人都有咏牛的诗。隋朝有一个名叫柳(巧言)( )内上下を重ねて一字とします的,他养的牛死了,竟写诗哭它。这首诗写道:“一朝辞绀幰,千里别黄河。对衣徒下泣,扣角讵闻歌?!”这要算得是我们能看到的最早的一首哭牛诗了。
 以上所说,涉及的问题十分广泛,至于牛在农业生产中的直接作用还多得很,而且非常明显,人人都能说得出来,我在这里就不必罗索了。

木下 国夫・藤井義則 校正

燕山夜話 第2集11話(通算41話) 养牛好处多