第3集燕山夜話-8 誤りはこの四文字に在りや?

燕山夜話

 教養科目を重視することはよいことだ。しかし、具体的にどうするのか、目安となるものがあるだろうか?
 教養担当の一老教師から上のような相談があった。どうして突然この問題が出てきたのか分からなかったので、教師に聞くと、受け持ちの教養班の何人かの生徒が、私をぼけ本老人とからかい、私の云うことを聞いてくれない。漢字の誤読を何度注意してもいっこうに改めてくれない。それで老先生は悩み、彼らが教養科目をあまりにも疎かにしていると感じ、いろいろと具体例により説明された。私は教師に大いに同情しつつ、己の考え方をあまり固守しないほうがよろしいのではと遠回しに進言を試みた。
 確かに、我々も日常的に漢字の読み間違いを冒している。誤りのなかでも“別字読み”のほうが“錯字読み”より多いと思う。“別字読み”とは、例えば、費さんの“費”の字に“ピィ”、“フェイ”と二通りの読みがあり、姓名は“ピィ”と呼ぶのが正しいが、それを知らない人が“フェイ”と読む誤りである。ひどいのになれば、本人は間違と知りながら“費”の姓を“フェイ”と発音し、正しく“ピィ”と呼ばないのである。同様に“解”には三音あり、“チィエ”(解く、動詞)さんと発音し、“シィエ”(地名・姓名)さんと云わない、本人も“チィエ”と間違いの音で云う。甚だしいのは“チィエ”、“シィエ”とも呼ばず、“カィ”と呼ぶ人もある。このような例は少なくない。聞きなれないと異様に響くが、其れになれると、なんともなくなり、どう読んでも変わりないような気がする。
 私がお会いした老教師はこのようなケースに出会うと直ちに訂正せずには居られない性格の人で、読み違いを直ちに矯正することが、教養学習を重視することと心得ておられる。このように真面目に責任を全うする態度を誉めこそすれ、本ぼけ老人と嘲笑してはならないが、程度問題でやりすぎはよくないと注意申し上げたい。言語文字とどう接すべきか、この問題はつまるところ“約定俗成”[約定まり俗なる](名詞、習慣などなにごとも広汎に広がれば決まりとして認知される)の約束に基づき処理すべきではなかろうか。
 言語文字は、本来人類が思想を伝達するための符合にすぎない。符合には音声が伴い、始めて意思を伝えることが出来る。一字の読音が正しいか否かは、聞き手が聴いて理解できるか否かにかかっている。人がみなこう読み、聞いて理解出来れば、読み間違いだと文句をつけることが出来ない。一字の読みが、最初と今と違っていても、今皆が最初の音で読まなくなり、別の音で読み、それが習慣であれば、新しい読音が正しいか、または数種の読音どれもが正しことで、多数の了解をいただけるのではないか?

華語教科書 

 この成語の成り立ちから申せば、“錯字読み”の責任は現在の我々にはなく古人にあって、ご存じの通り、この話は唐の穆宗長慶年間に幽州の節度使張弘靖が言ったものだ。『旧唐書』列伝第七十九載によると、“弘靖……軍士に謂いて曰く、今、天下事無し。汝輩兩石の力弓を挽き得るは,一丁字を識るに如かず。”[弘靖……下士官に言った、今日、天下平安な時代に於いては、君たちは二石の剛弓を引く力を鍛えるより、一丁字を識ることが時代に則している。]同様に『新唐書』列伝第五十二にこう書いている、“弘靖……嘗て曰く、天下無事なり。而(なんじ)ら輩、兩石弓を挽くは、一丁字を識るに如かず。”この二種類の本に書かれた文句はほぼ同じであるが、これより宋代に宋祁が編纂した『新唐書』は、五代の劉昫が書いた『旧唐書』を写して書いたことが分かる。『旧唐書』が書き写される時、この字が誤って伝えられるとは、劉煦は夢にも思わなかっただろう。
 しかし、宋代の学者孔平仲は、『続世説』で記している、“一丁字は應に一个字に作るべし。篆文の丁と个は相似たるに因り、誤り丁と作りたるなり。”[一丁字は一个字と作るべきである。篆字では丁と个の書体が似ているので、誤ったのである。]もう一人特に名高い宋代の学者洪邁は、『容斎俗考』でこう述べている。“今人、「不識一丁字」を多用す,謂祖は唐書なり。出處を以って之を考すれば,乃ち个字にして,丁字に非ず。蓋し个と丁字は相類にして、傳寫して之に誤るなり。”[今の人は、「不識一丁字」を多用するが。間違いの元祖は唐書である。というのは、出所からこの誤りを考察すれば、个の字であり丁の字ではない。个の字と丁の字はよく似ており、書き写すときに丁に誤ったのである。]問題点は、唐書の原文が若しも“不如識一丁字”であれば、意味不明なことは、明確である。ではどうして“一天字”または“一人字”と間違わなかったのか。考えて見ると、ここに如何なる字を当てても、こじ付けであり、“一个字”と云うのが最も適切であり、文前後の意味がつながる。古代漢語通と自称する人も、“目不識丁”の誤りがどこに存するのか知らなかったので、ついに“目不識丁”と読みなれてしまった。それをいまさら間違いと云えようか?
 このように見てくると、衆人が公認する成語となった“目不識丁”を、誤りが判明したという理由で、直す必要があるだろうか。しかも、これは正真正銘の“錯字読み”であり、“別字読み”よりも誤りの罪は重い。それを、事実上“約定俗成”[約定まり俗成る]という理由で、放任してよいはずは無いのである。
 以上挙げた資料から、明白なように、この成語を“読錯字”に導いた責任は古代人に帰すべきである。この千年の長い間、誤解の上に誤解を重ねて、すでに習慣と化し、誰もが成語の意味を理解するようになった、これが事実上“約定り俗成る”ということではないか?もしも今無理やりに変更すると、却ってなにか落ち着かなくなるのではないか。
 当然、文化教員が、全ての句の原義を生徒に教え、字句には何種類かの読み方があり、しかもその変遷過程を教えることには反対しない。しかし、生徒が“目不識字”の類の誤りを犯しても、生徒の誤りを怒ってはならない。生徒たちを間違いと一方的に決めずに、このような読みをも認めるべきである。

訳・北 基行

【 掲載当時の時代考証と秘められたメッセージ 】

「誤りはこの四文字に在りや?」ひとそえ

 今回の題名の訳し方は楽ではない。
 「目不識丁」の成語は「瞎字不識」とも表し、「無丁字」とも。
日本語では「目に一丁字もない」と室町時代から訳されていたようだ(西川芳樹氏の説)。目に一つの文字もない→一字も知らない→無学である、と表しているが、本来は字の量詞として「个」であるべきところを「丁」と篆刻した誤りが唐の時代から延々と今に到っている、という主流の説を本文で鄧拓先生が詳しく解説している。
 学生時代に「目不識丁」をかすかに目にした記憶があった。それが『阿Q正伝』であったか?『二十年目睹之怪現状』であったか?調べた処、後者に出ていたようだ。『阿Q正伝』の第9章「大団円」、捕まった阿Qが署名させられる場面で、生涯筆というものを握ったことがない、字を知らない、という悲痛な叫びをした印象が「目不識丁」の成句の曖昧な記憶に誤って繋がっていたようだ。
 清末の吴趼人が著した口語体風刺小説『二十年目睹之怪現状』では「不識一个字」とあり、口語体(白話)小説だからとの説もある。
「丁」と「个」が清末まで併用されていたとすると、何故に「丁」のみが残っているのか?簡単には「一丁あがり」とはいかない。

文・井上邦久

错在“目不识丁”吗? 原文

 重视文化学习,这当然是好事情。可是,怎样才算重视?能不能定出一个标准?
 一位老年的文化教员向我提出了这样的问题。我不懂得这问题从何而来。问他,他说,他教的文化班有几位学生,常常笑他是老书呆,不听他的话,他们总是念错别字,他指出他们的错误,他们也不改。因此,他很苦闷,认为他们对于文化学习太不重视了。他举了许多例子。我表示对他抱着相当的同情,同时,又对他的固执己见提出了适当的劝告。
 的确,一般人平常都不免会读错别字,读别字比读错字的更要普遍。比如姓“费”的,别人往往叫他“老肺”,而不叫他“老闭”; 甚至于他本人也把“费” 字念成“肺”的音,而不念“闭”的音。同样,许多人对于姓“解”的,总是把他叫做“老姐”,而不叫做“老械”,他自己也不例外; 甚至于“老姐”、“老械”都不叫,而叫做“老改”。同类的例子还多得很。乍听起来,你会觉得非常别扭,但是,久而久之,也听惯了,不觉得有什么错误,似乎怎么念都可以了。
 我们的这位老教员就看不惯这种现象,他认为必须立刻全部纠正这一切读别字的现象,才算重视了文化学习。这样认真负责的态度是很好的,不应该因此而笑他是老书呆。然而,我们又必须劝告他不要过于固执。因为对待语言文字,毕竟还要按照“约定俗成”这一条规律办事。
 语言文字本来只是传达人类思想的符号,每个符号当然要有一定的声音,大家才能听懂它的意思。一个字的读音是否正确,主要应该看大家是否听得懂。如果人人都这么读,都听得懂,你又何必一定要怪他们读别字呢?即便一个字最初不是这个读音,可是现在大家都不按最初的读音,而读成另外的声音,并且反倒成了习惯;那末,肯定新的读音是正确的,或者肯定几种读音都是正确的,难道不可以吗?
 这当然只是关于读别字的一种解释。至于读错字的又该如何呢?最普通的例子,如“目不识丁”这句成语,明明知道读错了,应该不应该纠正呢?
 就这句成语的来历而论,读错的责任不在今人而在古人。大家知道,这句话是唐穆宗长庆年间幽州节度使张弘靖说的。据《旧唐书》列传第七十九载:“弘靖······谓军士曰:今天下无事,汝辈挽得两石力弓,不如识一丁字。”同样,《新唐书》列传第五十二也写道:“弘靖······尝曰:天下无事,而辈挽两石弓,不如识一丁字。”这两部书的字句几乎完全相同,可见宋代的宋祁在编写《新唐书》的时候,大体上是照着五代刘昫的《旧唐书》抄的。他没有想到,这一抄就以讹传讹了。
 但是,宋代另一个学者孔平仲,在《续世说》中却认为:“一丁字应作一个字。因篆文丁与个相似,误作丁耳。”还有一位鼎鼎大名的宋代学者洪迈,在《容斋俗考》中也说:“今人多用不识一丁字,谓祖唐书。以出处考之,乃个字,非丁字。盖个与丁相类,传写误焉。”问题很明白,唐书原文如果是“不如识一丁字”,意思显然不够通顺。为什么不说“一天字”或“一人字”呢?其实,不管用什么字都很牵强,只有说“一个字”才最为妥贴、最为通顺。有的人自以为很熟悉古代的汉语,却不一定能够辨别“目不识丁”的错误何在。反之,读惯了“目不识丁”的人,你能说他是错误的吗?
 这样看来,现在一般人公认的成语“目不识丁”分明是错了。那末,是不是就应该加以纠正呢?而且,这是不折不扣地读了错字,比念别字还要严重,岂可用“约定俗成”为理由,而轻轻地把它放过去呢!
 从前面所引的材料中,我们已经看得很清楚,读错这句成语的责任应该由古人承担。近千年间,人们既然以讹传讹,变成了习惯,大家也完全懂得了这句成语的含义,那末,这在事实上难道还不是“约定俗成”了吗?如果勉强地加以改变,岂不会使大家反而觉得很别扭吗?
 当然,我们完全不反对我们的文化教员,把每个字句的原来意义,都向学生讲解得清清楚楚,让他们知道有几种读法,并且懂得它们的演变过程。但是,我们却不能因为学生读了“目不识丁”等等,就批评他们的错误,相反地,应该承认他们这样读也是可以的,不能算做错误。

木下 国夫・藤井義則 校正

燕山夜話 第3集8話(通算67話) 「错在“目不识丁”吗?