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世界遺産「京杭大運河」は、杭州「拱宸橋」に始まり北京紫禁城北「万寧橋」で終わる

2022年9月

工藤和直

 京杭大運河は、中国の北京から杭州までを結ぶ。洛陽から北京、洛陽から淮安までの運河、杭州から寧波間の浙東運河を含めると総延長2500kmに及ぶ大運河である。世界の運河と比較すると、スエズ運河190km・パナマ運河81kmであるから、そのスケールの大きさに驚く。

 途中で、海河・黄河・淮河・長江・銭塘江を横断している。春秋戦国時代より部分的には開削されてきたが、隋の文帝と煬帝がこれを整備し、完成は西暦610年であった。大運河は大きく4つになるが、西暦603年から北部の永済渠(洛陽から北京)と通済渠(洛陽から淮安)を作り、既にあった邗溝運河と江南運河を改造して繋ぎ、610年に完成した。

 運河建設は人民に負担を強いて隋末の反乱の原因となったが、運河によって経済の中心地“江南”と政治の中心地“華北”、さらに元朝「クビライ・ハーン」によって軍事上の要地である涿郡“大都”(後の北京)が結合して、中国統一の基盤が整備された。この運河は、その後の歴代王朝でも大いに活用され、現在も中国の大動脈として利用されている。中国の電力は石炭を燃焼させる火力発電が多いが、火力発電所は必ずと言って良いほど運河沿いにある。燃料となる石炭を運河によって運搬するので、風雪水害で道路が使えなくても、運河がある限り電力不足にはならない。2014年の第38回世界遺産委員会でシルクロードなどとともに世界遺産リストに登録された(写真1)。

写真1:大運河地図と蘇州付近の風景

 大運河は、杭州市「拱宸橋」に始まる。拱宸橋は西湖から北5kmにあり、高さ16m、長さ92mの杭州で一番長くて高いアーチ式石橋である。創建は明代末西暦1631年、その後清代西暦1721年に改修され、京杭大運河終点のシンボルとなった。「拱」は歓迎の意味であり、「宸」は帝王が住む宮殿という意味がある。昔から皇帝を迎える場所であり、杭州の北玄関であった。

 大運河は北上すると蘇州「宝帯橋」に到り、右へ行けば蘇州河を通り上海へ、北に行けば蘇州城内に入るが、西に曲がり寒山寺を通って無錫に到る。その後、常州・揚州を北上して淮安に着く。元代に、ここから済寧・聊城を通る新しい運河が掘削され、隋唐宋時代にあった洛陽や開封への運河が荒廃した。

 運河は更に北上して天津に入り、その後北京の東部「通州」に到る。そこで高さ45mの「燃灯佛舎利塔」が迎えてくれる。写真は西暦1860年頃の塔であるが、現在は通恵河入口西海子公園にある。ここから北京紫禁城までが通恵河であり、西5km行けば通州「永通橋」、更に西2kmで紫禁城真北にある「万寧橋」に到り、1800kmの運河の終点となる。紫禁城を作るための石材・木材を始め、あらゆる生活物資がこの運河を使って運搬された。

写真2:京杭大運河にある橋

多余的話 『シニアカレッジ』

2022年6月

井上邦久

「改革・開放」政策とペレストロイカについて初歩的に考えてみた。

共通点:経済停滞への危機感から、立て直しをしようとする試みである。ペレは英語でreの意味、ストロイカはconstructionと英訳されていたと記憶している。      

相違点:

①情報公開(グラスノスチ)の有無、

②革命から立て直しまでの時間

③香港や台湾そして華僑の存在がソ連にはなかった

 政治改革と対内開放から距離を置いていることについて、何度も触れてきたので重複を控えるが「経済改革・対外開放」を「改革開放」と単純省略し、OPEN POLICYと喧伝してきたメディアの責任は重いと思う。その点で中国に情報公開(グラスノスチ)がないことに繋がる。次に帝政ロシアがソビエト社会主義共和国連邦 となった 1922年12月30日 から 1991年12月26日のソ連崩壊まで69年。一方の中国は立て直しまで約30年である。この時間差は「経済」体験のある旧世代が残っていたかどうかの違いに影響しないだろうか。また他方では、漢民族が「経済」を本土から離れた場所で温存培養していたことにも連動する。一朝、本土から「経済」をやるよと声を上げると、先ずは香港から、続いてシンガポールや日本、そして恐る恐る台湾からも「経済」専門家がやってきて、「友好」と「利益追求」の両輪で大活躍をしたことはご存知の通り。色々な摩擦や試行錯誤を繰返し、「全球的経済」の素地が生まれて21世紀を迎えたと思う。

 『現代中国の経済と社会』竇少杰・横井和彦(編著)。中央経済社2022年3月30日出版。旧知の竇先生に読後の感想を伝え、質問をさせて貰う機会を得た。

 竇先生は、2001年9月11日「同時多発テロ事件」と、2001年12月11日 中国のWTOへの正式加盟、この出来事を世界秩序の形成の節目と捉え、以後20年の「現代中国」を描くことを執筆目的とされた。従来はアヘン戦争(1842)や中華人民共和国成立(1949)から歴史や党史を説き起こすことが定番であり、21世紀以降に焦点を絞った研究は少ないことを意識した由。また清朝から現代までの時間軸と所得格差に関するイメージ図に修正や見解を示してもらった。

 執筆後に勃発した戦争や上海ロックダウンが、世界秩序の形成の節目であることについて、次回あらためてお訊ねしたい。

サッポロビール茨木工場の跡地に建てられた大学キャンパス内のレストラン『ライオン』で会食しながら竇先生とお話をした。第一次世界大戦までドイツの支配下にあり、その後に日本の軍政下にあった山東省青島郊外出身の竇先生もビール工場のDNAを感じたかも知れない、次回はJR線路を挟んだ『哈爾浜』(ハルピン)で本場仕込みの水餃子を食べましょう、と約束をした。

 山東人の粉物好きについては、若い頃に広州交易会で長丁場の仕事をした時、華南の長粒米に飽きていた青島の貿易公司の友人たちに大きな饅頭を振る舞ったところ、まさに「泣いて喜んで」くれた体験に基づくものであり、青島に駐在した時も青島麦酒と饅頭・水餃子・麺類など麦に頼った生活だった。

 茨木市のシニアカレッジ「激動の現代社会を学ぶコース」で、『最近の中国・香港・台湾事情』というトテツモナイ題目を受持っている。激動は毎年のことであり、最近の状況が急変することも多いので準備がなかなか難しく、できるだけ質疑応答の時間を長めにとって補足に努めている。

訪日客数の総人口に占める比率(2019年まで香港が断然トップ)、上海ロックダウン下での「白衛兵」の活躍、ウズベキスタン綿花に強制労働はないと認定されて5月に使用解禁されるまでの流れ、上海復旦大学から西北(Northwestern)大学研究職となったMs.銭楠筠(Nancy Qian)の意見と画像、福建省厦門市

と台湾小金門島の間が6㎞であることを示す地図を織り交ぜた「かやくごはん」を2時間かけて炊き上げた。散漫なメニューであり、なじみのない具材も多いため、どの程度伝わったか覚束ない出来栄えだった。

 お世話になった事務局の皆さんとの「反省会」では「もっと肩肘を張らない話にしてくれたら」など色々と有りがたい意見を頂戴した。そして折に触れて思い出す「衆口難調※」を反芻した。

※「全ての口に合う味は出せない」と訳される。日中合作ドラマの『蒼穹の昴』(西太后=田中裕子主演)の製作過程で、王監督は日本と中国の板挟みとなり、苦心した末に「衆口難調」の言葉に思い至り気が楽になったと語ったという。

 冒頭の竇先生の著書に見つけた「造船不如買船、買船不如租船」という劉少奇の言葉を、「船を造るより船を買うほうが手っ取り早い、船を買うより船をリースするのが賢い」と解釈した。そして一時的な経済合理性は理解するが、長期的な創造性の後退に繋がらないかと考えた。 南の海を航行している空母「遼寧」は、ソ連の設計によりウクライナで製造中に中国が買ったと聴いている。その母港は青島である。(了)


多余的話 『大阪画壇』

    2022年5月

井上邦久

 行動自粛が続いた春に京都国立近代美術館で大阪画壇に光を当てた展示会が開催されました。いまどき珍しい控えめの料金にもかかわらず、三密もなく入場制限や感染対策も不要で、ゆっくりとした時間を過ごせました。

 狩野派が牛耳る江戸画壇や円山応挙が核を作った京都画壇はよく知られています。他方、大坂(阪)に画壇があったのか?という素朴な疑問さえ聞かれ、知名度も低く影も薄い。フェノロサや岡倉天心から評価されず、教科書に載せて貰えないせいなのか「知られざる」とか「不遇の」大阪画壇という寂しい扱いが続いています。そもそも大阪画壇の展示会を京都で開催することも妙な話ですが、大阪で開催するともっと人が入らないのでしょうか。

 過剰な期待が外れると逆恨みしがちですが、その反対のケースもたまにはあるようで、今回の展示は愉しかったです。

 長崎に渡来した沈南蘋に学んだ熊斐、そして鶴亭の花鳥画の系譜。大坂堀江の木村蒹葭堂のサロンに集った面々の墨跡。「大大阪」の頃の女性画家リーダーの北野恒富や、近代建築が増殖した中之島から川口居留地跡に縁の深い小出楢重の作品もオマケで並んでいました。

 しかし、このような素人の不親切な説明では「知られざる」大坂画壇は「不遇」のままになりそうなので専門家の文章に助けてもらうことにします。

 ・・・鶴亭は長崎聖福寺の黄檗僧で、清の画家の沈南蘋に師事した熊斐に南蘋風花鳥図を学んだ。還俗して京都、大坂に進出。文人画家と交わった。四十代半ばで黄檗山萬福寺に戻り塔頭紫雲院の住持を勤めた。1785年に江戸下谷池之端にて64歳で亡くなった・・・。(神戸市立博物館 2016年4~5月『我が名は鶴亭 若冲や大雅も憧れた花鳥画⁉』展の図録より抜粋)

 木村蒹葭堂旧居跡の石碑と案内板が大阪市西区北堀江の大阪市立中央図書館(今は辰巳商会中央図書館とネーミング。大阪市史編纂室所在)の角にあります。実業家・画家・コレクター、更に文人墨客のサロンの中心として著名。古今東西の博物収集は若冲の『動植綵絵』製作のインスピレーションに繋ったと聴いたことがあります。

 数日後、親戚の墓や自分用更地を借りている京都深草の石峰寺へ参りました。春秋の寺蔵品展示会も感染対策の自粛が続いていて、特に今年は本山の黄檗宗祖隠元禅師350年大遠忌法要もネット配信で厳修される程の厳しさの中なので、石峰寺でも伊藤若冲顕彰会員のみが出入りを許される短期間の内覧会でした。

 今回はいつもの若冲作品ではなく、鶴亭の屏風絵や「鶴図」を中心とした展示でした。実に安全で静寂な寺の美空間を独占したあと、しばし住職とご母堂から鶴亭についてのご教示をいただきました。

 5月は大坂/大阪について、WAA例会でオンライン報告をさせていただく機会があり準備に集中しました。以前に集めた地図や歩き直して撮った画像を盛り込んで『大阪歴史散歩「かやくごはん・てんこもり」』というお気楽なタイトルを付けました。色々な加薬(かやく/具材)を炊き込んだ安あがりの夕食のような内容でした。

 道修町から北浜、中之島を歩き、淀屋橋から88番のバスで川口へ。水にちなむ地名が多く、国貞らによる浮世絵『浪花百景』には多くの水辺の景色が描かれています。そんな「水都」と呼ばれる土地に漢方薬由来の薬業や大和川の流れを付け替えたあとの河内木綿を背景にした綿業が発達し、全国の米・俵物(中国向け海産物)交換市場を持つ「天下の台所」と称された「商都」でもありました。明治維新直後の停滞期をしのいで二十世紀に入ると、東洋のマンチェスターと呼ばれた「煙都・大大阪」の後背地が育ち、念願の築港が完成。東北アジア航路の拡充と北幇(山東煙台中心とした川口華商)の活躍を基軸とした大陸貿易も急成長しました。また、東洋一のアーセナルの大阪砲兵工廠を核に膨張した「軍都」の側面がありました。

 戦争末期、この「軍都」を標的とした大空襲により、人家も生産拠点も貿易拠点もほぼ壊滅しました。そこに至る77年間を中心に報告しました。

  この報告の資料作りの過程で、外から大阪にやってきた人がリーダーシップを取る事例が多いのではないか?という素朴な印象が生まれました。豊臣秀吉(尾張)、五代友厚(薩摩)、小林一三(山梨)、松下幸之助(和歌山)、横山ノック(北海道)らは保守的な同調圧力から自由であり、斬新なデザインができたような気がします。しかし一方では、大阪商工会議所の創始者の五代友厚、後継の藤田傳三郎(長州)を「都市制圧者・進駐軍」と見なし、近世の高い水準にあった大阪文化を理解しえなかったとする異見も知りました(『大阪の曲がり角』木津川計)。大阪画壇を商家の床の間に押し込めた一因もこの辺りにあるのかも知れないと愚考しています。

 折しも、この春に藤田美術館が改装され「傳 傳三郎好み」とされる逸品が、照明を落とした人工空間に配置されています。暗闇でしか見えないものを訪ねるのも一興ですが、改装前の公民館風の佇まいにも味わいがありました。

 新装開館の賑わいとは反対に姿を消していく建築物もあります。堂島大橋北詰の莫大小会館の斬新なモダン設計がお気に入りでした。昨今はギャラリーやオフィス、そしてカフェが雑居していましたが川口貿易が華やかな頃には、メリヤス売込商の拠点として、華商との往来が至便の場所でなかったかと睨んでいます。大阪商人を鍛えたのは、北からやってきた華商集団だったとの説を思い起こすと、丁々発止のやり取りの声が聞こえてくるような場所でした。老朽化と非耐震構造を理由に7月で閉館、大大阪の残り香をかぐ機会もあとわずかとなりました。

 仕込みが不十分な生煮えの「かやくごはん」的報告となりましたが、関東や海外のみなさんにステレオタイプでない大坂/大阪の一面を伝えることに努めました。菊田一夫の造語「ガメツイ奴」、今東光が創作した「河内悪名」、そしてヨシモト的なアクの強さだけが大阪ではないと、少しでも報告できたとすれば幸いだと思っています。


多余的話 『社区』

2022年4月

井上邦久

 「テーマが多ければ多く書き、少なければ少なく書き、書くことが無ければ書かない、私はこれを誠実に守っていく宗旨とする。」これは1961年10月30日、毛沢東によって『人民日報』社長に棚上げされた鄧拓(筆名:馬南邨)が『燕山夜話』第二集出版の巻頭に寄せた短文の一節です。夕刊紙『北京晩報』のコラムが好評で出版を重ねていた時期のことです。

米寿祝いのスタジアムジャンパーがお似合いの北基行先生から長年講読指導を受けています。講読会の現代文テキストに『燕山夜話』を毎月一話読み繋いで今月で67話目、と言うことは已に5年余りが過ぎたことになります。講読会の母体として先行してきた華人研は感染症のため休会が続きましたが。その間も講読会は継続しつつ、『燕山夜話』の第1集第1話からの原文・北先生の訳文・関係する画像・時代背景などの「ひとそえ」を華人研のHPwww.kajinken.jpに月二回連載し、二つの会の安否確認のように発信してきました。

 3月から華人研も定員制限や予防対策を遵守した上で再開できました。2年ぶりの再開は崑劇女優・崑劇研究家の登壇のお蔭で盛況でした。4月は奇しくも崑劇のふるさと崑山市で合弁企業を経営した方の報告です。大阪と製薬産業、アジア食品事情の話題も豊富ですが、福井の実家での農業との兼業ビジネスマンの生活と意見も楽しみです。 www.kajinken.jp を覗いて頂ければ幸いです。

2月に罌粟(ケシ)、3月に緒方八重さんをテーマに「多余的話」を書きました。過去のことをほじくり返した印象を残したかも知れません。ただ鄧拓の言葉通り、書くことがなければ書かない姿勢に賛同しています。また、過去の時代のテーマが多いのですが懐古趣味は控え、なるべく現在につながることを意識しています。その意味で上海の歴史著述家の教授から、「多余的話、均已拝読、有意思的話題、具有現実意義」とかなり甘口の評点をいただいて、ルーキーが初ヒットを打ったように喜んでいます。

 或る弁護士からは無名氏の散文詩が届きました。西安や長春の感染者が増えた時、上海人はかなり辛辣に「地方」の管理の甘さを指摘していましたが、今になって上海も感染が拡大し、自慢の厳重な管理体制が崩れ、自尊心も傷ついたことを慨嘆しています。

 また、長年の上海暮らしを続けている複数の方からも、団地毎にある「小区」の柵の中での生活、水道水を飲み水にする習慣が途絶えた人たちの生活をリアルに教えて貰いました。

 国家の下での「単位」と呼ばれた末端管理組織が、街道弁事処・「社区」・居民委員会という形で変遷しています。疫禍までは関心の薄い存在だった気がします。

 チャイナ・ウォッチャーのベテラン津上俊哉氏の近著『米中対立の先に待つもの』(日本経済新聞出版・2022年2月)は、「各論悲観・総論楽観」の繰り返しに飽きて(ご本人の弁)、控えてきた本の出版を久々に再開した力作です。まさにベテランが満を持して放ったホームラン。これにより氏の長打率はさらに高まった印象があります。

 その一節、草の根大衆が習近平主席のコア支持者(第二章 急激な保守化・左傾化―転換点で何がおきたのか)に書かれている、「都市部における「街道弁」は、農村部における「村」と並んで、党と政府組織のピラミッド最底辺だ」の考察に注目しました。「街道弁」は「社区居民事務所」の上部機関とほぼ同義だと理解します。

 これら最底辺の基層組織は、かつて一人っ子政策の推進者として住民に圧力を掛け、我々外国人の不行跡を「関所」で監視してきました。普段は普通の「大媽(おばさん)」達が、時に末端党員の意地を見せると怖くて、我が方にも落ち度や弱みがある場合には更に怖い存在に化しました。ロックダウンという非日常下で、日頃は目立たない党や行政の末端組織のマシーンがフル稼働して、検査実行・隔離徹底・食糧分配などに大活躍していることでしょう。

 津上氏は、この草の根大衆のムーブメントについて、戦時下の日本の大日本国防婦人会や隣組を彷彿させると書いています。昨年来、NHK大阪放送局が、大阪港湾地区発祥の婦人会が先鋭化した背後に「家庭の隅に追いやられていた嫁たちの鬱積していたパワー」があることを浮き彫りにしたドキュメンタリーを製作しました。何度か見て、視野を拡げてもらったことと「社区大媽」に通じるものに気付きました。

 氏は「トランプ前大統領のコアサポーターと一脈通じるところがあるのだ」とさらに鋭い指摘をしています。プワーホワイトと呼ばれる低所得白人労働者を描いた『ヒルビリーエレジー』を読んだ時、ボストンの工事現場でレッドネック(日焼け)の労働者を見かけた時の「繁栄する社会の隅に追いやられた者たちの鬱積した怒りとパワー」を思い出しました。

 個人的にも 中国現地法人の職員の給与や賞与の査定をするときに、高額な家賃を負担して刻苦奮闘している他の省出身の「外地人」職員と、幾つかの高級マンションを所有して、給与より世間体と健康のために出勤しているらしい「本地人」職員の処遇に考え込んでいました。また教育機会を得ることを政治や経済環境が許さなかった時代と、大学卒業生が年に1,000万人を越える時代とでは、経歴比較の尺度が変わるでしょう。

 金持ちになり損ね、教育機会を逃して、社会の隅で生活している人たちの層に習近平主席は支持基盤を発見した、という論旨を津上氏の著作に教わりました。

一方で3月5日の全人代での李克強首相による政府活動報告から「共同富裕」の文字が激減していて、振り子の揺り戻しも予感しています。政治的にも、経済成長の観点からも、「先富論」からは離れがたいのでしょうか?

 「共同富裕」であろうと「先富論」であろうと、全ての根幹である食糧について、コメはほぼ自給自足です。トウモロコシの不足分の70%はウクライナに頼っている中国が、小麦や大豆に続いてトウモロコシも米国からの依存度を上げるなら、米中関係の振り子も微妙に揺れることでしょう。今の段階では食糧自給率を云々するほどのこともなさそうですが、振り子の揺れの範囲を知りつつ、振り子の現在位置がどこにあるのかを今後とも確認したいと思います。


二つの『中国共産党簡史』

令和3年9月

一般社団法人日中経済協会北京事務所所長

川合現

 7月1日に中国共産党創立100周年記念大会が天安門広場で盛大に開催された。その際の習近平総書記の演説等については日本でも報道され、併せて、日本の新聞各紙では関連の特集連載記事も掲載された。

 これと関連して、読売新聞の中国総局のある記者の方から、最近『中国共産党簡史』が出版されたが、20年前に出版された同名の書物と読み比べると、集団指導体制の必要性に関する記述がなくなっているなど興味深いとの示唆を得た。

 そこで、『中国共産党簡史』(2021年2月 本書編写組 人民出版社・中共党史出版社)(以下「新版」という。)と『中国共産党簡史』(2001年6月 中共中央党史研究室著 中共党史出版社)(以下「旧版」という。)を読み比べてみた。以下気づいた点を列記してみる。

1.本の厚さの相違

 両者の違いでまず気づくのが本の厚さである。新版は531ページであるのに対し、旧版は164ページ。ただし、新版は旧版よりも紙面の大きさが小さく、文字が大きい。1ページ当たりの最大文字数で比較すると、新版が650文字であるのに対し、旧版は990文字。旧版の方が約1.5倍の文字数である。また、新版は文中に写真がいくつも挿入されているが、旧版は冒頭に数枚の写真がまとめられ、文中には写真は挿入されていない。

 旧版は江沢民政権途中の記述で終わっているので、文革までの記述について比較すると、新版は216ページまで、旧版は131ページまで。1ページ当たりの最大文字数で掛け合わせてみると、新版は14万400文字、旧版は12万9,690文字。写真の挿入の有無を考慮するとそれほど相違はないと見ることができる。

 このため、新版は、旧版よりも出版時期が20年新しいが故に、その間の記述を充実させたことからページ数がより増加していると見ることができる。特に習近平時代に関する記述は厚く、147ページと全体の4分の1以上を占める(約27.6%)。

2.文革に関する記述の薄さ

 次に驚くべきことに、新版では文化大革命に関する記述が極めて少ない。見出しを除くと、52行、1行25文字なので、掛け合わせても1,300文字にとどまる。これに対し、旧版は、208行、1行33文字を掛け合わせると6,864文字。最大文字数による単純比較だが、新版では2割程度(約19%)に圧縮されている。上記1.に述べたとおり、文革までの記述総量に大差はないはずなのに、全面的に書き換えているため、このように部分的に大きな相違が生じている。

 旧版では、文革が起こった歴史的要因として、以下のように分析している。「長期の残酷な戦争を経て、急速に社会主義の歴史的段階に入り、経済文化に遅れた国家において如何にして社会主義を建設していくかについて、十分な思想的準備と科学的知識が中国共産党に欠けていた。過去の革命戦争の時期に積み重なってきた豊富な階級闘争の経験は人々が社会主義建設の多くの新たな矛盾を観察し処理する時に容易に踏襲・引写しされ、一定の範囲において存在した階級闘争が依然として主要な位置を占める階級闘争と見做されたことにより、大規模な群集性政治運動の方法を用いて解決された。戦争の時期に革命隊伍の中で有効に行われていた軍事共産主義に近い生活経験が理想社会を企画するに当たってのある種の根拠として容易に用いられた。マルクス・レーニンの著作中のいくつかの論点が誤解若しくは教条化されたことにより、人々が日々階級闘争拡大化の迷信・誤解の中に陥っていった。この種の迷信・誤解を堅持することがマルクス主義の神聖な事業と認識され、この種の迷信・誤解に懐疑的な者は正々堂々と反対することが難しかった。この時、毛沢東は全党全軍及び全国人民の中で威光と人望が絶頂に達し、党内の個人専断と個人崇拝現象が次第にはびこっていった。建国以来の党及び国家政治生活の民主化、法制化の進み具合いが順調に発展していなかったことと相俟って、権力が過度に個人に集中し、このことが人民の尊重する領袖が犯した間違いを正すことを難しくさせ、林彪、江青といった野心家が信用を得て、権勢と横暴を恣にした」(旧版P105)。

 これに対し、新版では毛沢東に同情的である。「「文化大革命」の発動において主に考慮されたのは、資本主義の復興を防止し、中国自らの社会主義の道の建設を求めたことである。一人の執政する無産階級政党の領袖として、毛沢東は新興の社会主義社会の現実生活の中の問題を観察し思考し、党と人民政権の強固な結び付きを創建することの難しさに極めて注目し、資本主義復興の危険を高く警戒し、党と政府の中の腐敗と特権、官僚主義等の現象を消除するため、不断の探索とたゆまない闘争を行った。しかしながら、社会主義社会の建設発展規律に対する認識が明確でなかったこと、「左」の間違いが理論及び実践上に累積発展したことにより、社会主義建設に関する非常に多くの正確な思想を貫徹実施することができず、最終的に内乱を醸成した」(新版P206)。

 新版の上記の要因分析には、階級闘争や個人崇拝といった用語すら用いられていないのである。旧版でも、「「文化大革命」という全面的で長時間に渡った「左」傾の間違いに対しては、毛沢東が主要な責任を負う。ただし、このような間違いは最終的には中国の社会主義の道を探索する過程で犯された間違いである」(旧版P115)などと毛沢東を弁護しているが、「「文化大革命」は全民族空前の思想混乱を引き起こし、党の建設及び社会の気風は深刻な破壊を受けた。一部の投機分子、野心分子、陰謀分子及び破壊分子は機会に乗じて党内に混じり込み、一部分の権力を窃取し、無政府主義、極端な個人主義、個人崇拝及び各種の愚昧で遅れた思想と行為が氾濫し、一部の人々のマルクス主義に対する信仰と社会主義の信念に深刻な打撃を与えた」(旧版P114)と記述するなど、個人崇拝を歴史の教訓とすべきという論旨は明らかである。新版でも文革を教訓とすべきという記述はあるが、その文脈において個人崇拝の問題点については言及されていない。

 なお、新版には、旧版と異なり、最後に「結束語」という要約が掲載されているが、この中の毛沢東時代に関する7行の記述の中では、反右派闘争、大躍進、文化大革命等のいわゆる負の歴史については、一言も言及されていない。

3.鄧小平1980年講話「党及び国家領導制度の改革」に関する記述の相違

 1980年8月の中央政治局拡大会議における鄧小平の講話「党及び国家領導制度の改革」について、旧版では、「党及び国家領導制度に関する主要な弊害は、官僚主義、権力の過度の集中、家長制、幹部領導職務の終身制、様々な特権等の現象であり、その核心は権力の過度の集中である。このような弊害に対しては計画ある実行、手順の整った徹底的な改革あるのみであり、そうすれば人民は我々の党及び社会主義を信任してくれる」と紹介されている。

 一方、新版においては、当該講話に関して、「党及び国家の領導制度の改革は、党の領導を弱め、党の規律を緩ませるものであってはならず、党の領導を堅持し強化し、党の規律を堅持し強化するものでなくてはならない」などと述べたと紹介されており、権力の過度な集中の是正等については言及されていない。

4.1982年憲法改正に関する記述の相違

 1982年12月の憲法改正について、旧版では、国家領導人の連続しての任期は2期を超えてはならないとする旨が定められたことが記述されている。

一方、新版においても、当該憲法改正について言及されているが、この中で、国家領導人の任期制限に関する記述はない。

ちなみに、新版においては、2018年3月の憲法改正において、国家主席の任期制限に関する規定が削除されたことに関する記述もない。

 以上の4点のほかにも、新版では反右派闘争や大躍進政策に対する反省に関する記述が甘かったり、長征に対する評価が大げさに過ぎたりするなどの相違がある。

 総じて、旧版は、中国共産党内の路線対立や階級闘争の負の歴史を直視し、特に文化大革命という内乱発生の反省に立ち、個人崇拝や権力の過度な集中に対して批判的立場を明確にしている。

 これに対し、新版は、中国共産党の負の歴史に関する記述を極力省略し、文化大革命以後の経済発展重視の政策展開に関して豊富な内容を記述する内容となっている。特に個人崇拝や個人への権力の集中に関する批判的記述は一切なく、国家主席の任期制限に関する憲法規定の廃止に関する言及もない。これは、習近平への権力集中や終身制を正当化する意図に基づいているものと受け止めることができる。

 このように同じ書名の2冊の本であるが、意図する内容は明らかに異なる。出版時期が20年隔たれば、文革に対する記憶も薄れるはずという意見はあるのかもしれないが、現在の中国共産党の中にも旧版の編集意図に倣って、歴史的教訓として個人崇拝や権力の過度の集中を排除すべきと考えている良識派は存在するはずであろう。新版の著者が「本書編写組」とされ、旧版の「中共中央党史研究室」と異なることに大きな意味があるのではないか、また、旧版が未だにインターネットを通じて容易に購入可能であることにも何らかの意味があるのではないかなどと想像が湧いてくるが、現段階では、裏付けをとるための調査に着手できていないため、単なる空想にとどまらざるを得ない。(以上)

「ひとそえ」

 北京で感じる個人的な『義憤』を盛り込んだ文章を届けて貰いました。所属組織の意向とは無関係の私的な書き下ろしです。日本でも日々感じる北京からの『圧』の背景を知る一助になれば幸いです。(井上邦久)


米国大統領選挙の結果と朝鮮半島の非核化、そして日本の役割

        三村光弘(環日本海経済研究所)

 2020年11月3日に行われた米国大統領選挙は、事前報道で劣勢と言われていた現職のトランプ大統領が善戦した。報道ではバイデン候補が過半数の選挙人を獲得したとされているものの、トランプ大統領は郵便投票など選挙に不正があったと主張し、敗北宣言を出さずに2週間が経過した。

 当初はトランプ大統領がいずれ敗北宣言を出さざるを得ないと予想されていたが、11月18日の『ロイター』によれば、ロイター/イプソスの世論調査によると、米大統領選で共和党支持者の半数が、民主党のバイデン候補は不正選挙で「勝利を盗んだ」と認識しており、現職のトランプ大統領が正当な勝利者と考えているとのことである。選挙結果に対する認識においても、民主党支持者と共和党支持者の間に大きな「断層」がある現状が浮き彫りになっている。

 米国のマスコミ、そしてそれを引用しつつ追認する日本のマスコミは、バイデン候補の勝利を事実として報道しているが、共和党支持者の過半数にとってそれは事実ではなく、マスコミによるプロパガンダである。中国では公式報道はプロパガンダに過ぎず、本当の情報は口コミやインターネット上の言論(習近平政権下で締め付けが厳しくなってきてはいるが、すべてを即時に止めることはできない)にあると考えるのが普通であるが、米国でもそれと同じような現象が起こっていることは興味深い。

 トランプ大統領が敗北宣言しなかったことに対し、共和党の重鎮である上院多数党院内総務のミッチ・マコーネル氏や上院司法委員長のリンゼー・グラム氏、テッド・クルーズ上院議員などが支持を表明している。今後、共和党として徹底的に抗戦することになる可能性が高い。

 そうなれば、12月14日に各州で開かれる選挙人団での集会で正副大統領を選ぶが、係争中の激戦州では、共和党が選挙に不正があったとして、一般投票(11月3日の選挙)の結果を承認せず、民主党と共和党双方の選挙人から投票証明書がワシントンに送られる可能性がある。2021年1月6日に連邦議会の上下両院合同会議で投票証明書の開封、確認、当選の宣言を行うことになっているが開封を行うのは上院の議長であるペンス副大統領であり、2枚ある投票証明書のうち、共和党の送ったそれを正式のものとしてみなし、トランプ大統領とペンス副大統領が2期目を務めることになる。

 もしその手続が紛糾して、大統領、副大統領の当選を決定できない場合、合衆国憲法修正第12条に規定する「選挙における偶発的事態」となり、下院が大統領を、上院が副大統領を選出することになる。下院では投票は州を単位として行われ、各州の議員団が1票をもつ(各州は、その州の下院議員(ただし今回の改選後)の多数決で決めることになる)。改選後の議員の数によるが、共和党が勝つ可能性は半々程度である。上院は1議員1票を投じることになり、今回の改選で残っている議席をすべて民主党が取ると50対50になり、議長がペンス副大統領であるため、共和党が勝利することになる。このような事態は過去に2回あり、最後は1824年だったので、196年ぶりの出来事となる。下院での投票は1月6日以降、就任式の20日までに行うこととなっているため、1月初旬に予定されている北朝鮮の朝鮮労働党第8回大会は、この投票結果を待って1月後半まで順延されることも予想される。

 もしトランプ大統領が再選されることになれば、米朝間には政府同士の公式の関係とトランプ大統領と金正恩国務委員長の間の個人的な信頼関係の両方の併存状態が継続する。北朝鮮は2017年11月29日に大陸間弾道ミサイル(ICBM)「火星15号」の試射に成功したとして同日、政府声明で「国家核武力完成の歴史的大業、ロケット強国偉業が実現された」と宣言し、核実験と中長距離ミサイル試射を一方的に停止し、現在に至る。米国もこれに応じるかのように、2018年の春の米韓合同軍事演習は平昌オリンピック・パラリンピック大会のために延期・縮小し、19年からは演習を一方的に中止している。このような状態が当分の間続くことになろう。もし関心を引くためにミサイル用ロケットの試射を行うとしても、米国と事を構える結果となり得る中長距離ではなく、日本には届くがグアムには届かない程度の中距離ロケットにとどめるのではないか。

 もしバイデン候補が大統領に就任することになれば、トランプ大統領と金正恩国務委員長の関係に依存する関係はなくなるため、北朝鮮は米国からの即時の攻撃を受けない範囲での挑発(中国やロシアをも敵に回してしまうため、核実験やICBMの発射は無理としても、グアムやハワイを攻撃できる能力のあるロケットの発射は行うかもしれない)を行う可能性が高まる。

 米朝間には核・ミサイルプログラムの廃棄が先なのか、新たな米朝関係の確立と朝鮮半島における恒久的な平和体制の構築が先なのかという堂々めぐりがこれまで続いてきた。北朝鮮は米国に裏切られた場合が怖くて前に進めず、米国は朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)や六カ国協議の過程で北朝鮮に裏切られたトラウマがあり(北朝鮮に言わせれば、米国も同程度裏切っているのだが)、北朝鮮を信用して裏切られた場合の交渉当事者のダメージが大きいと予想される(とは言っても殺されるわけではない)。この堂々めぐりは今後も続く可能性が高く、誰が大統領になろうとこの問題の解決は容易ではない。

 もし米朝がこの堂々めぐりを突破できたとして、非核化プロセスが政治的にだけではなく、原子炉や核施設の廃棄、解体を進め、国際原子力機関(IAEA)などの査察を通じて、技術的にも完全に解決したと国際社会が認めるまでに少なくとも10数年、長ければ数十年の時間を要することになるだろう。トランプ政権が続くにせよ、バイデン政権になるにせよ、次の政権は4年で終わる。それまでに非核化プロセスが終了しないことは確定していると考えてよい。

 今後、米中分断が進行し、東アジアの大陸部における中国(そしてロシア)の影響力が増していけば、2025年以降、朝鮮半島の非核化の推進主体は米国ではなく、地域大国として台頭する中国(そしてロシア)になる可能性もある。中ロは北朝鮮の核兵器とその運搬手段の保持を認めてはいないが、米国を信じられてない北朝鮮の気持ちはよく理解している。したがって、最終的な非核化を前提として、数十年の時間軸でまず北朝鮮を豊かにすることを優先し、その後に本格的な非核化を実現するアプローチを取る可能性もある。そのためには、対北朝鮮経済協力の阻害要因である国連安保理決議による国際的制裁の解除や大幅な緩和の可能性も考えられる。

 日本は米国の同盟国として米国との協調と協力の下で北朝鮮との過去の清算を通じた国交正常化、それにともなう経済協力の提供を行うことが期待されている。日本の頼みの綱である米国が今回の大統領選挙で見せた「醜態」は、日本が米国におんぶに抱っこでいられない時代の到来を予感させる。

 北東アジアにおける中国の影響力は日ごとに拡大し、日本としてもこれを無視することはできない。中国(とロシア)が主導する朝鮮半島の非核化は、北東アジアに新たな国際秩序をもたらす動きであり、日本がそこから排除されることは日本にとってもよくないことであろう。日本が自国の将来のために、中国(やロシア)との関係を正確に処理する能力を身につけるとともに、朝鮮半島の非核化に関与していかざるを得ない時代がいずれ来ることになる。その時に日本がどう行動するべきなのか、今から心理的、学術的準備をしていく必要があるだろう。

以上

三村光弘 氏 略歴

公益財団法人 環日本海経済研究所 調査研究部主任研究員
2001年より新潟にある環日本海経済研究所(ERINA)に入所。現在、調査研究部主任研究員。北朝鮮の法律、経済を研究している。年に1~3回北朝鮮を訪問するほか、韓国、中国、ロシアを頻繁に訪れ、現地の研究者や実務者と交流を行っている。最近は中国の一帯一路に関心を持ち、周辺国における中国の経済活動について調査・研究を行っている。